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濱名惣社神明宮
はまなそうしゃしんめいぐう
静岡県浜松市北区三ケ日町三ケ日大輪山122  Zenrin Data Com Maps display !!


三巴

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式内社 遠江國濱名郡 英多神社
旧郷社

御祭神
天照皇大御神

境内社
太田命社(太田命)、天棚機媛神社(天棚機姫命)、
浜名天満宮(菅原道真公)、天羽槌雄神社(天羽槌雄命

静岡県浜松市三ケ日町にある。
浜名湖の北にある三ケ日駅の北1Kmほどに鎮座。

境内に入ってすぐの所に巨木が茂り、清らかな神域となっている。
境内正面に拝殿があり、周囲に境内社が4つ。

拝殿の後方、垣に囲まれた場所から、石の階段が上へ続き、
丘の上の、板垣に囲まれて本殿がある。

石階段のある下の垣に『立入禁止』とあったので、
社務所の方に、お願いすると、
上の板垣の中に入らなければということで上ってみた。
少し急な石段なので、雨が降るとすべるかもしれない。

茅葺の社殿は鳥避けの網が掛けられた神明造。
社殿の屋根には、緑青の出た銅の三巴紋も付いていた。

創始年代は不詳。

式内・英多神社の論社。
元は、浜名県主(あがたぬし)が、その祖神・太田命を祀ったもの。
現在、太田命は境内摂社に祀られている。

県主は、美和氏の系統らしく、太田命は、大田々根子命のことらしい。
鎮座地名が、大輪山というのも、三輪山と関係する。

朱雀天皇天慶三年(940)八月、太宰官符を以って
伊勢皇大神宮に平将門追討御祈の報賽として、
遠江国に神戸が寄進され、当地も伊勢神領となったため、
神明宮と変化し、現在の祭神と成ったという。

本殿は、井籠造神倉で、浜名神戸の貢物を保管する倉であった。

境内社右手に、山へ続く道があったので、
登ってみたが、上の車道に出てしまったので引き返した。
あるいは何かあるのかもしれないが、聞き忘れた。


参道入口

境内

神木

境内拝殿

本殿から拝殿

本殿への階段

拝殿

本殿

太田命社

天棚機媛神社

浜名天満宮

天羽槌雄神社

浜名惣社神明宮
祭神天照皇大御神
攝社
 祭神
天棚機媛命
天羽槌雄命
太田命
由緒 創立年月日は詳らかではないが、口碑 によると垂仁天皇の皇女倭媛命が 天照皇大神の御神勅によって三種の神 器を奉じて大和の国より伊賀・伊勢・美 濃・尾張の地を経て御鎮座の地を定 めよとの思召しによって太田命の御先 導で御船にてこの地に行幸になられて 四十余日御行宮の後、更に御神託によっ て勢州渡会の五十鈴川の辺に移御なされた。
斯る畏い御由緒であり神倉造りとして 他の神社と異り古式の神殿で歴代の 将軍・国守の尊崇の念が厚く特に 豊臣・徳川両氏の代々の将軍は掟を定 めて朱符の田四十二石を寄進して崇敬 の意を表している。
本社は昔から神服部氏が伊勢大廟に奉 献する御初生衣の御清祓所とした所である。
明治五年八月二日郷社に列す。
明治四十年二月十一日神饌幣帛料供進指定
例祭日八月第一日曜日
境内地千八百二十一坪(約五五〇〇平方米)

−境内案内−


浜名惣社神明宮(式内社)
所在地三ケ日町三ケ日大輪山一二二番地
祭神天照大神攝社天棚機姫命
天羽槌雄命
太田命
由緒 当神社は上古三ケ日地方を統治した浜 名県主が、祖神太田命を祀ったのに創 り、その後天慶三年(九四〇)この地方 が伊勢神領になるに及んで天照大神が 主祭神となり太田命は従的位置になっ たものと推定される
国指定重要文化財(平成五年四月二〇日指定)
浜名惣社神明宮本殿一棟
県指定重要文化財(昭和五十四年十一月十九日指定)
羽槌雄神社社殿一棟
 建築の概要
伊勢神宮や熱田神宮の元来の社殿は俗 に井籠造と云われる板倉造りであった ものと思われるが、この両社殿はその 古式を今に伝えて貴重なものである。
地上に組まれた土居の上に板を組み平 入正面中央に脇柱を立てた戸口を構え 腰長押、内長押を取付けて板戸を内開 きにし妻梁上に束を立てて棟木を受け 板壁上に桁を渡し本社は垂木に茅葺攝 社は目打板の流板葺となっている。
ともに千木を延ばし勝男木をのせて いるが攝社は破風が延びて千木となっ ている。なお本社には棟持柱がある。

−社前案内−



【 浜名惣社神明宮 濱名惣社神明宮(印刷用ページ) 】

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