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小茂田濱神社
こもたはまじんじゃ
長崎県対馬市厳原町小茂田742
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旧県社 |
対馬の旧下県郡の、西側にある。
厳原港から、44号線(桟原小茂田線)を西へ進み、
突き当たりにある、小茂田浜海水浴場の隣に鎮座。
元寇によって戦死した宗助国を祀っている。
文永十一年十月十六日午前四時頃、元軍二万・高麗軍一万の元寇に対し、
対馬守護代であった宗助国は、当地付近で、わずか八十余騎で応戦したという。
当時六十八歳であった助国の墓は、「お首塚」「お胴塚」と分散しており、
その壮絶な死を物語る。
対馬を占領した元軍は、ここから壱岐や佐賀まで押し寄せている。
が、二十日の夜に嵐が起こり、一万三千の兵が死に、
元軍・高麗軍は、高麗へ引き上げていった。
のどかな海水浴場に沿って参道があり、元寇古戦場の案内がある。
当時は、今より奥深い入江であり、戦場は、金田のあたりらしい。
華美な装飾もなく、しずかな境内だった。
小茂田浜に隣接した境内で、参道から浜辺が見える。
社殿は、想像していたものとは違い、質素な印象。
潮騒の中の参拝。
村民に祀られた宗助国等は、どんな思いで、元の大軍を見たのだろうか。
境内横の浜 |
境内入口 | 境内鳥居 |
拝殿 | 本殿 |
参道 | 本殿 | 拝殿内扁額 |
小茂田濱神社 神社本庁 下県郡厳原町佐須七四二 九州郵船厳原港 祭神 対馬目代右馬允宗助国公 例祭 一一月一二日 建物 本殿流造一坪 境内 一、五〇七坪 氏子 八〇〇戸 崇敬者 三、二〇〇人 由緒 祭神宗助国は文永一一年元の軍が当地 に侵入したとき、力戦したが及ばずついに戦 死した。村民は小祠を建ててこれを祀った。 正平二年四月助国の後裔宗経茂が当社を創建 し改めて帥(あるいは軍)大明神社と称した。 元禄年中宗義真はその勲功を欽仰して神門及 び石碑を建て、寛政七年より毎年宗家が祭典 を執行した。明治二九年従三位を追贈された。 明治一五年県社に列した。 −『全国神社名鑑』− |
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