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多久頭魂神社
たくづたまじんじゃ
長崎県対馬市厳原町大字豆酘字龍良山1250
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式内社 對馬嶋下縣郡 多久頭神社 |
長崎県対馬市にある。
下対馬の南部、龍良山を遥拝する豆酘の古社。
周辺に赤米を作っている神田がある。
境内に、式内社・高御魂神社があり、
御神体は「ウツホ船」に乗って漂着した霊石とする伝承がある。
社伝によると、創祀年代は神武天皇元年。
神功皇后三韓征伐に向かう時、諸神を拝し給うた所。
式内社・多久頭神社に比定されている神社。
両部神道の時代には、祭神・多久頭魂神は天道法師とされ、以下の伝説がある。
昔、宮中の女院が不義の疑いにより、ウツロ船に乗せて流され、
内院の浜に漂着。山の渓流の傍らで出産した。
その子が長じて天道法師となった。
あるいは、内院女御の婢(はしため)が日光に感応して出産したとも云う。
前話は、大隅国の鹿児島神宮縁起と同じ話。
後話は、天日矛命の伝承に通じる話。
もともと社殿の無い神社だったが、
神仏分離の際に、観音堂を龍良山遥拝所(拝殿)とした。
参道 | 鳥居と神門 |
寛弘五年の梵鐘 | 梵鐘 |
社殿 | 社殿 |
境内の木 |
多久頭魂神社 (旧郷社) 御祭神 天照大御神 天之忍穂耳命 日子火能邇々藝命 日子穂々出見命 鵜茅草葺不合命 由緒 神武天皇の御代天神地祇を祭らせ給ふところの社なり。即ち勧請は神武天皇元年なり。 神籬磐境の社にして是の遥拝所は神佛習合、天道信仰時代の堂宇をそのまま拝殿となしてゐる。 又神功皇后三韓に向ひ玉ふ時に諸神を祭り拝し給ふ処の社にして延喜式神名帳に載るところの社なり。 貞観十二年三月五日従五位下を、其の後叙位ありて正四位下を授けられる。 例祭 十月十八日 −境内由緒− |
高御魂神社 高皇産靈尊
元は違う場所(現在学校)にあったが学校造営のため遷宮。
が、本来の場所に戻ったのではないかと地元の人は云う。
高御魂神社鳥居 |
鳥居 | 社殿 |
高御魂神社 (旧村社大明神様) 御祭神 高皇産靈尊 由緒 橿原の朝高皇産靈尊の五世の孫津島県直建弥己々命に詔して天神地祇を祭らせ給ふ処にして神功皇后三韓に向ひ給ふ時行宮を定められ御親ら戦捷祈願し給ひし社なり、高皇産靈を祀る社は全国にも稀にして佐護の神皇産靈を主基の宮、本社を悠紀宮として上古由緒ある社にして顕宗天皇三年四月、上より神田十四町を献上せられた。神事造営は上より行はれ国主の崇敬篤き社なり。 延喜式神名帳に載る名神大、高御魂神社は是の社なり。 例祭 一月三日 −境内由緒− |
高御魂神社の他にも、広い境内に幾つかの境内社が存在する。
師殿神社は旧村社。豆酘郡主であった宗盛世を祭神とする。
現観音堂は昭和に再建されたもの。
元の観音堂は、現在の多久頭魂神社社殿(遥拝所)となっている。
神住居神社は式外古社。神功皇后三韓征伐のおり
行宮を定め、諸神を祀った場所。よって行宮神社とも呼ぶ。
國本神社は庁神を祀る神社。
聖武天皇の勅により斎祀された古社で、政所の神。
下宮神社は海神を祀る神社。祭神・豊玉姫は
別名を淀姫玉妃命と称し、
皇后三韓征伐のおり、干珠・満珠を皇后に奉ったという。
五王神社は、國本神社の相殿に祀られていた神社。
もとの鎮座地・伽藍原は、護法原とも呼び、
牛王原と書くようになって、五王と変化した。
師殿神社 | 観音堂 |
神住居神社参道 | 神住居神社 |
國本神社 | 國本神社 |
下宮神社 | 下宮神社 |
五王神社 | 五王神社 |
多久頭魂神社が遥拝する龍良山に祭祀跡。
龍良山北麓には天道法師祠があり、南の八丁角(おとろし所)には石を積んだ天道法師塔がある。
天道法師祠 | 天道法師塔 |