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常神社
つねじんじゃ
福井県三方上中郡若狭町常神10−2
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式内社 若狭國三方郡 常神社 |
福井県若狭町にある。
三方五湖の北西に突き出た常神半島に鎮座。
ウネウネと海岸沿いを走る道路を走っていると、道路脇に境内がある。
鎮座地・常神に入ったあたりから森が深くなり、
スピードを緩めていると、道路を数匹の猿が歩いている。
境内横に車を停めて、しばらく見ていると、さらに多くの猿が境内に入って来て、
総数が十数匹だろうか、階段を上り、社殿の上や、境内で遊び始めた。
社殿の上では、親子の猿が蚤取り、境内では小猿達が追いかけっこなど。
僕が車から降りると、一斉に木の上に上り、木を揺らし、声を上げ始めた。
ちょっと怖かったが、様子を見ながら、階段下まで歩くと、猿の姿は見えなくなった。
居なくなったのではなく、葉陰に隠れているのが分かる。
ボスらしき猿が、木の上から、ジッとこちらを観察しているので、
無視しながら、一歩一歩階段を上る。
ゆっくりと、急いで参拝し、階段を下りていると、上から何か落ちてきた。
木の実のようなもの。見上げると猿がこちらを覗きこんでいる。
車に戻り、車内に入って、ホッとしていると、
猿達は、木や茂みから姿を現し、遊びや蚤取りを再開。
猿の遊びの時間に、たまたま来合せてしまったのだろう。
観光地にいる凶暴な猿と違って、人に慣れていない素朴な猿で良かった。
樹上の猿 | 境内の猿 |
親子の猿 |
創建年代は不詳。
寛和2年(989)に神社を、常神半島沖にある御神島へ移し、
天仁元年(1108)、当地へ遷座したといわれる。
敦賀湾奥に鎮座する気比神宮の奥宮は、
敦賀半島にある常宮だと云われている。
「常」という字の意味は不明だが、この常宮の神官が、
当社・常神社で祭祀を行ったという記録が残っているらしく、
常宮との関係が指摘されている。
『日本書紀』仲哀天皇二年の条に、
熊襲征伐へむかう仲哀天皇に同行するため、
神功皇后は敦賀から出発し、「渟田門」(ぬたのみなと)で船上で食事をしたとある。
この渟田門は、常神半島と敦賀半島の間の海であるとされている。
船の周りに多くの鯛が集まったので、皇后が酒を注ぐと、鯛は酔ってように浮き上がり、
漁民らは、聖王(皇后)の下さった魚として、多くの魚を得た。
六月になると、当地の魚は、酔ったように浮き上がり、口をパクパクとさせているとも
『日本書紀』に記されている。
神紋は不明。社殿には、菊や桐らしき紋が付いていたが、不鮮明だったので不明。
境内入口の鳥居 | 参道の階段 | 階段上から |
社殿 |
階段上に拝殿 | 本殿 |