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月読神社
つきよみじんじゃ
京都府京都市西京区松室山添町15
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式内社 山城國葛野郡 葛野坐月讀神社 名神大 月次新嘗 |
京都府京都市にある。
阪急嵐山線・松尾駅の南西500mほどの松室山添町に鎮座。
松尾大社から南へ500mほどの場所。
道路に面して鳥居があり、階段を登ると神門があり、神門の奥が境内。
境内の向きは東向き。
顕宗三年(四八七)阿閉臣事代によって、壱岐から勧請された神社。
元は歌荒樔田の地に祀られていた。歌荒樔田の比定地については、
上野村説、桂里説、有栖川流域説などがある。
『文徳実録』に、斉衡三年(856)三月、
当社が川の側にあって水の害を受けたため、現在地に遷座されたという記述がある。
ただし、遷座の時期に関しては、仁寿三年(853)や大宝元年(701)とする説もある。
境内社には学問の神・聖徳太子社、航海の神・御舟社がある。
また、安産の神・月延石や、絶えることのない霊水・解穢の水がある。
山から猿が降りてくる神社なのだ。
参拝していると、どこからか、動物の叫び声がする。
神社近くの民家の屋根に、数匹の猿がいた。
嵐山には、モンキーパークがあるので、
そこの猿だろうが、こんなに民家の近くにくるんだ。
鳥居、階段上に門 |
鳥居扁額 | 階段 | 境内の燈籠 |
社殿 |
扁額 | 御船社 | 聖徳太子社 |
月延石 | 解穢(かいわい)の水 |
境内から民家の屋根の猿が見えた |
京都市指定史跡 月読神社境内 月読神社は延喜式では名神大社の一つに数 えられる神社で、元は壱岐氏によって壱岐島 において海上の神として奉斎されたものです。 文献によれば、顕宗三年(四八七)阿閉臣 事代が朝鮮半島に遣わされる際に、壱岐で月 読尊がよりついて託宣をしたので、これを天 皇に奏上して山城国葛野郡歌荒樔田の地に社 を創建したとされ、斎衡三年(八五六)に松 尾山南麓の現在の地に移ったと伝えます。 境内は、江戸時代に建てられた本殿、拝殿 を中心に、御船社、聖徳太子社などから構成 されています。 月読神社が京都へもたらされるにあたって は渡来系氏族、なかでも山城国と深く関係す る秦氏が関わった可能性が強く、古代京都の 神祇信仰やまた渡来文化を考える上で重要な 意味をもつ神社であるといえます。 −案内板より− |
【 月読神社(印刷用ページ) 】