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和爾下神社
わにしたじんじゃ
奈良県天理市櫟本町櫟本字宮山2490  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 大和國添上郡 和尓下神社二座
旧村社

御祭神
素盞嗚尊 大己貴命 稻田姫命

境内式内社 大和國添上郡 高橋神社 若宮社

天理市、天理I.C.の南にある。

丘の上にあるが、「前方後円墳」らしい。

169号線に鳥居があり、参道が東に延びる。
参道沿いに幾つかの末社があり、公園横の階段から境内へ。
公園には「柿本寺跡」がる。

式内社・和尓下神社に比定されている古社。

通称、上治道天皇社
大和郡山にも同名神社があり、そちらは下治道天皇社

神護景雲三年(769)東大寺領の櫟庄の水を引くため、
高瀬川の水路を、今の参道に沿った線へ移し、
道も新しく真直に作られたので、この森を治道の森といい、
宮を治道社といっ たらしい。

柿本寺との 関係で柿本上社ともいわれていたが、
明治社年に、式内社・和爾下神社であるとされ、
社名を和爾下神社と改めた。

『式内社の研究』において、志賀剛氏は、
もともと当社は式内社・高橋神社であったと考えており、
後に治道の宮が本社となって、式内社・高橋神社は若宮社に遷されたという。

境内参道には多くの境内社が点在している。


社号標

明治天皇遥拝所

神武天皇遥拝所

参道の鳥居

参道階段

社殿

若宮社

若宮社

豊川稲荷社

厳島神社・十二神社

住吉神社

天照皇太神宮

天満神社

琴平神社

稲荷神社

垣の中の境内社

柿本寺跡と柿本人麿の遺骨を葬った歌塚

 和爾下神社(本殿重要文化財)
 神護景雲三年(七六九)東大寺領の櫟庄の水 を引くため高瀬川の水路を今の参道に沿った 線へ移し、道も新しく真直に作られたので、 この森を治道の森といい、宮を治道社といっ た。上代の古墳の上に祀られた神社で、櫟本 の地方にいた一族の氏神であったが、今は櫟 本町の鎮守の神社である。
 この治道社の(春道社とも書く)祭神は、 素盞鳴命の本地が牛頭天王であるので、天王 社ともいわれ、ここに建てられた柿本寺との 関係で柿本上社ともいわれた。
 明治社年に延喜式内の和爾下神社がこれに当 ると考証されて社名を和爾下神社と定めた。
 今の社殿は、三間社流れ造り、桧皮葺一間 向拝付で桃山時代の様式を備え、古建築とし て重要文化財に指定されたいる。
 祭神は、素盞鳴命大己貴命稲田媛命、 例祭は七月十四日、祇園祭、十月十四日、氏神祭礼。

−案内書きより−



【 和爾下神社 (上治道)(印刷用ページ) 】

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