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二十二社
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平安中期以降、中世を通じて朝廷の殊遇 を受け、国家の重大事等あるごとに、朝廷より使を遣わされて奉幣に預 かった神社。その社数によって二十二社という。大小神社の代表的な存 在で、社格の一種とせられたもの。 その起源は遠く上代における朝廷崇 祀の神社に遡ると考えられるが、平安時代に入り、その由緒と社会的勢 力とにもとづいて、次第に固定するに至った。二十二社は下に揚げる別 表のように、これを上七社。中七社・下八社とも分けるが、その成立過 程は、二十二社註式によれば、村上天皇の康保三年(九六六)閏八月、 止雨奉幣の際、上七社と中七社との十四社の外に、丹生川上・貴布禰の 二社を加え、十六社にそのことがあった。これらが当時における朝廷御 崇敬の最も篤かった神社と考えられるが、ついで一條天皇の正暦二年、 (九九一)六月祈雨奉幣に当り、吉田・広田・北野の三社を住吉の次位に 加えて十九社とし、後朱雀天皇の長暦三年(一〇三九)八月官幣を奉献せられ るに際し、住吉の次に日吉を加えて二十二社とし、爾後その数は固定し て動かず、最高の社格として後世まで朝廷の宗祀として遇せられた。二 十二社に入った神社は、伊勢を除くのほか、いずれも五畿内にあって、 畿外遠隔の地方には及んでいない。(中略) なお二十二社の奉幣は、 室町時代中期、宝徳の頃に至るまで行われた。

−『神社辞典』−

出典:神社辞典


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