[HOME]  >  [神社記憶]  >  [北陸地方]  >
メニューを表示する 表示用ページ


熊野神社
くまのじんじゃ
富山県富山市宮保476  Zenrin Data Com Maps display !!


梅鉢

式内社 越中國婦負郡 熊野神社
旧村社

御祭神
櫛御氣野命 あるいは、伊弉冉尊 事解男神 速玉男神
合祀 天照大神 應神天皇 水罔女神

富山県富山市宮保にある。
富山I.C.から南へ3Km近くの辰尾団地の突き当たりに鎮座。

周囲の地名には、上熊野、下熊野などがあり、
近くを流れる川も熊野川と呼ぶように、
付近一帯、広大な範囲が、熊野の地であったことがわかる。

斎明天皇4年(658)の創建。

享保10年(1725)、富山藩主の命により、
当時の神主が17日間の雨乞いを行い、霊験があったという。

熊野川は、御手洗川とも呼び、
参拝時には、ここで身を清めるのが慣わしだった。
現在は、熊野川まで1Km近くある。
当時は、そこまで境内だったのだろうか。

祭神は、出雲系の祭神とする説、紀伊系の祭神とする説の両方がある。

境内は、鬱蒼とした木々が茂り、昼でも暗い。
拝殿の左横にも、大きな神木らしき木が聳えている。

拝殿の裏に回ると、小さな石橋の向うに、
本殿が離れて鎮座している。
富山では、このような形態が良く見られる。


社頭

鳥居と社号標

神馬像

社殿

御神木

拝殿の背後

石橋の奥に本殿


熊野神社の所在地という意味でその地を熊野郷と呼ぶようになり、 その熊野郷は上熊野と下熊野の二村にわけ、供田や神饌田を有して社家と神子の両家で神事をとり行い、 一、二、三の鳥居の続いた大社でした。 神前を流れる川で手を清めて参拝したので、その御手洗川を熊野川と呼ぶようになりました。 享保十年(1725)七月におそろしいひでりが続いたとき、当時の神官横越阿波守則恒が藩主の命うけて、 十七日間の雨ごいの祈祷をしました。領内の神官全員参列しての神事でしたが、その七日目に雨が降り出し、 霊験をたたえて参拝する人の列が続いたと伝えられております。 木草学(薬学)の大家、富山藩主前田利保公は、領内の巡視にはいつも当神社へ立寄り、 神前へ詣でては五穀の豊作と天平の泰平を祈り、その祈願料として高を十石を奉納になりましたが、 これは明治維新まで続きました。

−『平成祭データCD』−



【 熊野神社 (宮保)(印刷用ページ) 】

ボーダー




no index