[HOME]  >  [神社記憶]  >  [北陸地方]  >
メニューを表示する 表示用ページ


長岡神社
ながおかじんじゃ
富山県小矢部市七社84  Zenrin Data Com Maps display !!


輪宝

式内社 越中國礪波郡 長岡神社
旧郷社

御祭神
鵜草葺不合尊
合祀
天照皇大神 (七社神明宮) 誉田別命 (七社八幡宮)

富山県小矢部市にある。
福岡I.C.の南2Kmほどの七社に鎮座。

用水路のような岸渡川の西岸にある境内は、
垣のないオープンな緑の境内だ。

富山の神社に多く見られるように、
当社の拝殿もガラス張り。
拝殿後方の本殿もガラス張り。

創祀年代は不詳。
糸岡郷三十三ヶ村の郷社。

主祭神は、鵜草葺不合尊
合祀の神々は、明治42年4月7日に合祀されたもの。
七社八幡宮は、元境内社だったもの。

ただし、一説には事代主命を祭神とする説がある。

明治六年八月郷社に列した。

正確な神紋は不明。
拝殿の屋根に輪宝紋が付いていた。
富山の神社で、時折見られる紋だ。
でも、違うかもしれない。


鳥居

境内

社殿

本殿

拝殿

長岡神社
所在
富山県小矢部市七社八四番地
創立等については相当古代にて不詳なるも延宝六年(一六七八) の「越中式内并式外之覚」「神祇志料」などに何れも七社所在説、 (現在地)を明示している。
祭神
鵜草葺不合尊―主神
天照皇大御神―七社神明宮の祭神―明治四二年(一九〇九)に合祀
誉田別命―七社八幡宮の祭神―明治四二年(一九〇九)に合祀
由緒
平安朝の延喜年間(九〇一〜)に勅選せられた「延喜式」では越中国 三四座の砺波郡七座の一座として記載され糸岡郷三三ヶ村の総社 として旱魃、霖雨の祈祷、或いは農作物の虫害、風難除けの祈願 更には安産の守護を祈って御加護を賜ったと語り伝えられ、広く 世人の尊崇を集めている。又、古来よりの武徳も種々の伝言あり 朝廷勅使の参詣「貞観一八年(八七六)」の記述等もある。
明治六年(一八七三)に新川県第二三大区一二四ヶ村の郷社に列せら れ明治四二年(一九〇九)に富山県告示を以って神饌幣帛料供進神社 に指定されていた。
神事
古記によれば「春季例祭の競馬神事」「秋季例祭の誓湯神事」の ほか「御田植神事」などが行れた。
長岡神社お田植歌(抜粋)
みづほの国は あめつちの
動かぬ限り 日の神の
   みてらすまゝに ゆたかにも
今日こそ早苗を 植るなれ

−境内案内−



【 長岡神社 (小矢部市)(印刷用ページ) 】

ボーダー




no index