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八幡宮
はちまんぐう
新潟県南魚沼市八幡113  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 越後國魚沼郡 八幡神社
旧郷社

御祭神
大國主命 猿田毘古命
配祀
多紀理比賣命 狭依比賣命 多紀津比賣命
足仲彦命 息長帯姫命 誉田別命

新潟県南魚沼市にある。
JR六日町駅の北500mの位置。
国道17号線と291号線の交差する場所にある。

東向きの参道入口から西へ進むと、オープンな境内。
木々の向うに社殿が見える。

拝殿屋根には巴紋が付いていたが、拝殿内の提灯には葵紋。
よくわからなかったが、八幡なので巴紋はあるはず。

崇神天皇の御宇の創祀。

元は鳥坂山に祀られていたが、
聖武天皇の頃に坂本に遷座し、坂本神社と称するようになった。
式内社・坂本神社の論社は多いが、当社は、
『越後國式内神社案内』『越後國式社考』『越後野志』『神社覈録』
において比定されている。


境内入口

拝殿

拝殿

社号標

拝殿

本殿

創建は崇神天皇の御宇創めて鳥坂山に大國主命を祀りしに起る。其地は命の不毛を拓き醜虜を討ち給ひし 地なりといふ。(長禄二年八月三日の文書)。垂仁天皇二十七年十月横刀三口を納めらる。聖武天皇天平六年今 の坂本の地に遷座あり、坂本神社と稱す、清和天皇貞観三年八月三日従四位下に叙せられ(三代實録)、醍醐天 皇延喜の制小社に列す、同延喜六年四至を定め社殿を造営せらる。鳥羽天皇天仁二年八月十三日國司越後平 太正綱勅命を奉じて、多紀理比賣命以下六神を配祀し、社殿を改建し、當國の守護神と定め、當地を八幡と稱 し、百余貫文の神地を定む。近衛天皇仁平三年賊を討ち、民を安んぜん旨の院宣あり(観應二年七月二十七日 の文書)、後鳥羽天皇文治元年今井四郎代官都部太郎、同四年南宮蔵人、後鳥羽天皇建久二年御厩小平治、同二 年蟾判官相次いで此地を所領し、その間、共に神地の課役を免ず、土御門天皇建仁元年鎌倉幕府の命により、佐 々水盛綱城氏を討ちし時、當社に祈りて願書を納む。(中略)
遂に戦勝ちて、報賽として社殿を造営し、箭落八幡宮と稱す。(矢落宮は上田庄の総鎮守と稱せられ上田八幡宮といふ。式内坂本神社につきては式内神社案内に「坂本山の麓にあり、宮號山王権現と唱ふ云々」とありて別社なるが如し」)又大神社四所宮とも稱す。

−『明治神社誌料』−



【 八幡宮 八幡神社 (南魚沼市)(印刷用ページ) 】

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