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水嶋磯部神社
みつしまいそべじんじゃ
新潟県上越市清里区梨平  Zenrin Data Com Maps display !!


角切角に
下がり藤

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式内社 越後國頸城郡 水嶋礒部神社

御祭神
誉田別尊 武甕槌命 経津主命

清里村(現上越市)の奥、坊ヶ池へ向う途中の集落にある。
通称は「梨平のお宮さん」。

参道の左手には池、右手には社家がある。
雨が降ってきたためか、木々の繁った境内は暗い。

社伝によると、
天智天皇十年(670)十二月、
大和国吉野で大乱が起こり、逃れてきた磯部臣が当地にとどまり
水嶋の里と定めて、奈良という地名を付けて祖先を祀り、
白鳳二年に社殿を建立したのが、当社の起源。

一説には、青柳の坊ヶ池の縁に勧請し、
持統天皇十年(696)六月、案下官幣に預かったという。

鎮座地の小字を「磯部山」といい、
式内社・水嶋礒部神社の論社とされている古社。

本来の祭神はは誉屋別尊
誉屋別尊は、仲哀天皇の皇子で、磯部臣の祖神。
誉田別尊の兄なのだが、ややこしい名前だ。

だが、上杉謙信が武神を信仰し、
八幡大神(誉田別尊)、鹿島大神(武甕槌命)、
香取大神(経津主命)を相殿に祀り、現在の祭神となった。

神紋は、社家でいただいた由緒に、
判を押していただきサンプルにした。


参道の鳥居

境内鳥居

境内

社殿

境内社の石祠

参道

本殿

境内

境内左手の池の石

水嶋磯部神社
御創建 白鳳二年
御由緒 天智天皇十年十二月吉野より磯部臣と申す人きたり、 水嶋の里、今の(清里村梨平)に社殿を、白鳳二年に建立、 水嶋磯部神社と定められ、その時地固めしと踊りましたのが、 梨平古代詞であり、今は清里村無形文化財指定。 氏子崇敬者より霊験あらかたな神社として御信仰され (延喜式内社)と奉られ、宮司五十四代につづいております。

−神社由緒より−



【 水嶋磯部神社 (梨平)(印刷用ページ) 】

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