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枚井手神社
ひらいでじんじゃ
福井県越前市深草2−6−27  Zenrin Data Com Maps display !!


抱き葵

式内社 越前國丹生郡 枚井手神社
旧村社

御祭神
枚井手大神 配祀 波迩夜須毘賣命 合祀 菅原道眞

福井県越前市にある。
武生駅の西1Kmほどの深草に鎮座。
深草の北に平出という地があるが、
以前は、この辺りも平出だったのだろうか。
平出は、当社社号の「枚井手」によるもの。

境内の社号標なのでは「枚」の字が
木偏(木)ではなく手偏(扌)になっていたが、
そちらが正式な字なのだろうか。

境内は河濯川の西。
北と南に境内入口があり、広い境内の中央を参道が縦断。
境内の中央に社殿があり、社殿は西向き。

平入の拝殿の後方に、流造の本殿があり
社殿の側面はガラスで覆われている。

本殿の左手(北側)に本殿跡がある。
改築記念碑とも刻まれ、昭和四十七年五月建設とあるので
その頃に、本殿が改築され、少し南に移動したのだろう。

創祀年代は不詳。

社伝によると、当地は優れた陶土を産出し
種々の陶器を造り得たことにより、
その埴土の神霊を奉斎して、枚井手大神としたという。

『越前國官社考』には
「此御社は平井出村に坐す。
今神明を変称して加茂明神と称す。
考えて曰く当郡は殊なる名土にして、
いと上代に天に平賀牧手厳瓮を始め
都ての陶器を造り出せしより、
其埴土の御灵を祭りて牧手神社と称し、
埴山毘賣之命の御社なり」

南北朝時代の騒乱により社殿を焼失。
文明年間、朝倉氏により再建されたが、
朝倉氏滅亡にともない、社運は衰退。
文禄三年府中城主青木紀伊守秀似により再建。
これも災禍に罹り、その後領主本多昌長により再建された。

上記のように、かつては加茂明神と称しており、
神紋は、加茂の葵紋。
双葉の葵が絡み合った文様で「抱き葵」と言うらしい。

久しぶりに神紋の絵を描いてみたが、
ピースマークに見えてきた。


南入口

北入口

境内

社殿

社殿

本殿

拝殿

本殿左の本殿跡


【 枚井手神社 (越前市)(印刷用ページ) 】

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