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竹佐々夫江神社
たけささふえじんじゃ
三重県多気郡明和町山大淀3004  Zenrin Data Com Maps display !!


三巴


『三重県神社誌』には
笹竹とあるが未確認

式内社 伊勢國多氣郡 竹佐々夫江神社
旧村社

御祭神
建速須佐之男命
配祀
大歳神 栲幡千千姫命

三重県の明和町にある。
近鉄明和駅の北西5Kmほどの山大淀に鎮座。
713号線を北上し23号線を越えて60号線に入り
西へ1.5Kmほどで海側(北東)へ入った場所。
公民館の隣り、観福寺の脇、というか同一の境内にある。

境内入口は北東向き。
鳥居をくぐり参道を進んで突き当たりを右に曲がると正面に社殿。
拝殿は切り妻造平入で、背後の垣の中に神明造の本殿がある。

社殿の左手が小さな林になっており、
その林の中に小石や山神の石碑が祀られていた。
石の周りに竹の垣が施され、石の前には竹で作られた小さな鳥居。
当社の社号に相応しい心配りなのかもしれないな、
などと想像しながらの参拝。

『倭姫命世記』によると、垂仁天皇二十二年、
皇女倭姫命が天照大神の御神霊を奉載し、
飯野の高宮より五十鈴川上に行幸のおり、
佐々牟江に船を留め、その地に佐々牟江宮を造営したという古社で、
式内社・竹佐々夫江神社に比定される古社。

竹佐々夫江神社の竹は多気郡の意味で、
多気郡の佐々夫江神社ということらしい。

江戸中期には知地の御前と呼称され、
佐々夫江橋付近に奉斎されていたが、後年現在地に遷座された。

明治四十年十二月、境内社八握穂神社、山大淀天王鎮座の津島神社を合祀した。

この八握穂神社に関して、
垂仁天皇二十八年秋、白夜真名鶴が北より皇太神宮に飛来し、
鳴き止まないので、倭姫命は不審の思い、
足速男命に命じて鶴の行方を探させたところ、
鶴は佐々牟江宮前の葦原の中へ帰って行き、
八百穂に茂る稲を咥えて鳴いていた。
倭姫命はこれを喜んで、竹連吉比古等に命じて
稲を刈り取らせ懸税とし、鶴の住む所に八握穂社を造営したという。

天保十五年の『大神宮舊蹟考』には
「観福寺ト云宮寺アリ、其處ニ小社二ツアリ、左八握穂社、右ハ佐々牟江社ナリ」
とあって、両社が並び祀られていたようだ。

拝殿内の賽銭箱に巴紋が付けられており、それが神紋だと思ったが、
帰宅後『三重県神社誌』を確認すると、当社の神紋は「笹竹」と記されていた。
撮影して来た写真を詳細に見てみたが、どういう図案なのか確認できなかった。残念。
仕方がないので、巴紋のみ掲載しておくが、神紋ではない可能性が高い。


社頭

参道

社殿

境内と観福寺

拝殿内部

本殿

小石

山神


【 竹佐々夫江神社 (明和町)(印刷用ページ) 】

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