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伊那下神社
いなしもじんじゃ
静岡県賀茂郡松崎町松崎28  Zenrin Data Com Maps display !!


七宝繋

式内社 伊豆國那賀郡 伊那下神社
式内社 伊豆國那賀郡 伊志夫神社
式内社 伊豆國那賀郡 仲大歳神社
旧郷社

御祭神
彦火火出見尊 住吉三柱大神

静岡県松崎町にある。
松崎町役場の南300mほどの松崎に鎮座。
松崎港の近く、那賀川の河口部にも近く、
136号線に面して境内入口がある。

駐車場に車を止め、赤い鳥居をくぐって参道を進む。
階段を上ると、正面に朱の拝殿があり、
右手にはイチョウの大木が数本。
境内のイチョウは親子イチョウと呼ばれているらしく、
枝が広がったイチョウは母イチョウ。
背の高いイチョウは父イチョウ。
参集殿の側のイチョウは子イチョウと名付けられている。

参拝日は、正月元旦の朝。
附近の方々が初詣に来られていた頃。
曇天だったが、さわやかな正月の朝、という雰囲気。
朱の拝殿が、とても晴れやかな姿だった。

拝殿の後方に大きな本殿があり、
本殿の左手に、「亥子岩」と呼ばれる石が祀られている。
当社の例祭に行われる御旅式において
この亥子岩をとおして、背後の牛原山に向かって呪文を唱え
神輿へ神霊を移すらしく、
亥子岩は、牛原山に対する祭壇の役目を担っているようだ。

創祀年代は不詳。

500mほど北東に伊那上神社が鎮座しており
当社は下の宮とも呼ばれている。

社伝によると、
造船技術に長けていた新羅の帰化人である猪名部一族が
当地に流れ着いて伊那という地名になり
伊那湾の下にその産土神として祀った神社であるという。

式内社・伊那下神社の論社であり、
伊豆国神階帳に「従四位上 いなしもの明神」とある古社。

慶長十三年(1608)三月、大久保石見守長安が
伊那上神社に金燈籠を奉納したが、そこに「那賀神社」と記されており
当社にも同型の灯籠を奉納し、そこには「松崎大明神」と記されていた。
このように、伊那上神社と当社は対等の待遇をなしていたと思われる。

当時、当社は唐(もろこし)大明神と称されていたが
寛政年代に江川坦庵によって「伊那下」の額を奉り、
以後「伊那下神社」と称するようになったという。

唐大明神と称したことから、大唐=大歳と考え、
伊那上神社を式内社・仲神社と考えると同時に
当社を式内社・仲大歳神社とする説がある。

この「唐大明神」と称した理由は、
古代、神功皇后が新羅征討の時、
唐の国人が皇后の御船を守護し、長門豊浦に留まり
後に当地に移って住吉三神を奉斎したためであるという。

また、海に近いためか龍宮を訪れた天彦火火出見尊を祀るといい
あるいは、別名を石火宮と称して、住吉三神と並べて
両輿(もろこし)大明神と称したとも。

この「石火宮」と称したという記録によって、
当社を式内社・伊志夫神社とする説もあるらしい。

拝殿には神紋の七宝紋を染めた幕が掛かっていた。

境内の右手奥に、松崎護国神社が祀られ、
その横に「尊庭」という庭がある。

拝殿の横には境内社が並び、
彫刻を祀っている大足社、厳島神社、秋葉神社と
小祠の愛宕神社、津島神社、金刀比羅神社、天満宮。

他にも小祠があったと記憶しているが確認し忘れ。
社務所に神職の方が居られたのだが、御朱印も忘れてしまった。

『式内社調査報告』によると、上記の他に境内社として
海神社、石神社、三峯社、御霊社、道祖社、稲荷社、沖宮、
墨江社、船玉宮などの名前が載っている。


鳥居

境内

拝殿とイチョウ

イチョウの大木

拝殿と境内社

松崎護国神社

境内社

舞殿

拝殿

亥子岩と本殿

亥子岩


【 伊那下神社 (松崎町)(印刷用ページ) 】

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