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大宮神社
おおみやじんじゃ
東京都大島町野増字大宮無番地  Zenrin Data Com Maps display !!


丸に三つ巴

式内社 伊豆國賀茂郡 阿治古神社
旧郷社

御祭神
天照大神 阿治古命

伊豆大島にある。
大島の西部にあり、大島町役場の南2Kmほどの野増に鎮座。
208号線に面して参道入口があり、
「郷社大宮神社」と刻まれた社号標の横に
参道入口の鳥居が建っている。

参道の長い階段を上ると、もう一つの鳥居があり
さらに参道を進むと、広い場所に出る。
そこに社務所、あるいは参籠所らしき建物があり、
さらに鳥居が建っている。

その鳥居をくぐると、自然石を敷いた参道。
鬱蒼と茂るシイの樹林の中を、緩やかにのぼっていくと
石の垣に囲まれた、社殿のある境内に到着する。

社殿は拝殿と、後方に神明造の本殿。
周囲には、小さな石祠が、いくつも祀られていた。

参拝は5月のゴールデンウィーク、新緑の頃。
参道や社殿周囲の樹林は
東京都の天然記念物に指定されているようで、
むせかえるほど濃密な植物の臭いを放っており、
社殿がまるで、ジャングルの中の小屋のような雰囲気だった。

創祀年代は不詳。

『三宅記』に
「三島の神大島に置き給ふ后を羽分の大后と申しける」とある「羽分の大后」は
大島南東部に鎮座する波布比咩命神社に祀られているが、
その「羽分の大后」には二人の王子があったという。

一人は「太郎王子おほい所」、一人は「次郎王子すくない所」。
この「太郎王子おほい所」が当社祭神である阿治古命。
「次郎王子すくない所」が大島北東部にある波知加麻神社の祭神だそうだ。

元は、現社地の東南の山中、三原山旧登山道にあり
三原山砂漠の近くの「阿治古」に鎮座していたが、
度重なる三原山の噴火によって、
室町時代頃、現在地に遷座したと考えられている。
ちなみに、三原山山頂には、当社の境外社・三原神社が鎮座している。

遷座の際に天照皇大神を増祀し、現在は二柱を祀っているが、
江戸時代には、大宮十八社大明神とも称されていた。
これは、三島大明神眷属の「十六王子」を併祀しており、
末社十六王子として別社殿に祀り、
昭和十三年の現社殿建立までは、本社と末社の
二社殿並立の形式だったらしい。

参道途中にある鳥居に脇に、
華表費寄進紀念と刻まれた石碑が建っている。
「華表」は、中国に多い石柱のことだが
鳥居を意味する場合もあるらしく、
参道鳥居建設のための寄進者の名前が刻まれていたが、
その石碑に、巴紋も刻まれていた。


鳥居と社号標

参道階段

参道鳥居

境内

参道階段

参道

参道鳥居

境内

拝殿

本殿

境内の石祠

大宮神社
 阿治古と呼ぶ古い地域が、ここ大宮の地から南 の山中にあり、集落を形成していた。集落の人々 は三原山のたびたびの噴火降灰により室町時代(一 四六六年)に祭神阿治古命(波浮比咩命の子)を 奉じて大宮のこの地に遷座した。それまでは、阿 治古神社と称していた。
 現在の祭神は阿治古命と天照皇大神の二柱で、 大宮に遷ってから天照皇大神を増祀したと伝えら れている。
 参道から神社の周囲には、百十数本のシイの木 が群生し、昭和十四年十二月東京都指定天然記念 物に、昭和三十三年十月御神体の菊花散双鳥文の 銅鏡(鎌倉時代の作)は、東京都有形文化財に指 定されている。


−参道案内板−



【 大宮神社 (伊豆大島)(印刷用ページ) 】

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