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爾佐加志能爲神社
にさかしのいじんじゃ
島根県松江市島根町野井155  Zenrin Data Com Maps display !!


二重亀甲に花菱

式内社 出雲國嶋根郡 尓佐能加志能爲神社
旧村社

御祭神
大己貴命 天照大御神

爾佐神社のある千酌から狭い道を西へ進むと、野井の漁港に出る。
野井漁港の外れの丘にある。
この港は、後醍醐天皇御着船地との伝承があり
殿浦湾とも呼ばれている。

港を見下ろす位置にあり、
境内に入った右手には、巨石がある。
詳細は不明だが、気になる。
また、左手には何かを祀っていた祭祀跡のようなもの。
もとは疫神社が祀られていたようだ。

階段の上に拝殿。その後ろに本殿がある。
本殿の両脇に末社がひとつづつ。

創祀年代も由緒も不詳。
式内社・尓佐能加志能爲神社に比定されている古社で、
出雲国風土記に「爾佐加志能為社」とある神社。

加無利明神、神守明神とも称されていたようだ。

相殿の天照大神は、浜岸に鎮座していた日御碕社の祭神だが
合祀年代や由緒は不明。

一説には、沖に浮かぶ築島に続く「加志嶋」に鎮座していたが
長元七年(1034)、大風によって吹き流され
日御碕神社の相殿に祀られたとも。
昔は、神守岩という大岩があり、奥に宮社があったという。

『式内社調査報告』によると、神紋は三柏。
相殿の日御碕社の紋であるという。
また『神国島根』には、横木瓜と記されている。
ただし、賽銭箱や拝殿内部の幕には亀甲に花菱が描かれていた。


社頭

階段上に社殿

拝殿

拝殿内

本殿左の木野山神社

本殿

本殿右の境内社

境内左手の疫神社跡?

境内右手の巨石

 明治十四年の「神社明細帳」には由緒不詳と記 し、「合殿天照大御神ハ当浦字濱岸日御碕神社ノ祭神ナレ トモ合殿年度並由緒不詳」といふ。同四十五年の「神社明 細帳」も当浦が当村に改められた程度で全く同趣である。

−『式内社調査報告』−



【 爾佐加志能爲神社(印刷用ページ) 】

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