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都辨志呂神社
つべしろじんじゃ
島根県安来市広瀬町広瀬字目谷口1415
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広瀬庁舎から北へ、住宅の奥にある小山(丘)の上にある。
路地の突き当たりに階段があり、中ほどに鳥居。
階段上に神門がある。
境内社がいくつかあるが、どの境内社にも千羽鶴が納められている。
注連縄も整い、社名もちゃんと書かれていて、信仰の篤さを感じる。
創祀年代は不詳。
式内社・都辨志呂神社に比定される古社。
素盞鳴尊が岩坂から峠を越えて巡行され
当地で休息をした。
素盞鳴尊は腰かけた石の脇に杖をお忘れになり
里人が、その石を杖を霊代として、杖代神社として祀り、
その巡行の道案内をした岐神を配祀したという。
もとは、広瀬町鍛冶町後丁に鎮座していたが
火災・水害のため寛文八年(1686)伊吹山の麓に遷座。
さらに、延宝五年(1677)、現在地に遷座したという。
拝殿の扉が開いていた。通常、人のいない神社の場合閉まっている。
近所(氏子)の方が掃除でもしたのだろうか。
境内は、きれいに整理されており、気持ちが良い鎮守の趣。
境内のある丘 |
参道と鳥居 | 階段上に神門 | 社号標 |
境内 |
樹齢200年の椎 素盞嗚尊の荒魂を祀る | 本殿 |
社殿 |
山中社・天満宮 | 塩釜社 | 稲荷社 | 大地主神 |
当社はもともといまの広瀬町の鍛冶町後丁に地
にましましたが、火災・水害に遇はれ、寛文八年(一六六
八)伊吹山の麓に奉遷し、さらに延寶五年(一六七七)現在
地に遷したもので、そのたびたびの災害により古文書等が
ほとんど消滅し、拠るべき史料が残存していない。ただ社
伝によれば、上古素盞嗚尊が岩坂の方から駒返り峠を越え
て飯梨川筋へ出られ、流域を巡行せられし際、現在の広瀬
町中町字札場のあたりで休息し。安来方面に向かって出発
せられし際、その腰掛け給いしところに御杖を忘れおき給
いしを、郷人、こは尊の御杖なれば畏しとて、その御杖と
腰掛け給いし石とを霊代として、その東方約一町の地、す
なはち現在の鍛冶町後丁の地に社殿を建て、素盞嗚尊を主
神とし、これにそのとき道案内をし給いし岐神を配してお
祀りしたのが、当社の起源であるとなっている。
−『式内社調査報告』− |
【 都弁志呂神社 都辨志呂神社(印刷用ページ) 】