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額東神社
ぬかひがしじんじゃ
石川県金沢市額谷町ロ―130  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 加賀國石川郡 額東神社
旧郷社

御祭神
伊邪那岐命 国底立命

猿田彦神 『加賀國式内等舊社記』『特撰神名牒』

金沢市の南西部に位置する額谷にある。
北陸鉄道石川線乙丸駅の東1Kmほどの場所。
北陸鉄道石川線を南下すると、白山比咩神社のある加賀一の宮へ続く。
乙丸駅と、当社額東神社の中間に、式内・額西神社が鎮座している。

神護景雲二年の創祀。
式内社・額東神社に比定されている古社。

昔は、当地の東にある字額山に鎮座していたが、
一向一揆のため、現在地に遷座したという。

額谷地区の東西に、額東神社、額西神社が鎮座しており、額地方の守護神。
加賀藩士柴野美啓による『亀の尾の記』には、
「額」とは不毛の地の事とあり、
不毛な谷あいの地を開拓した人々の守護神であった。

江戸時代には富山派の山伏が奉仕し、
明治までは、観世音を奉祀していた。

二月の参拝。境内には、少し雪が残っており、
駅からの道を寒さをこらえて歩いて来た。

上の写真は、東の道路脇の鳥居から見たところ。
正面には境内社の道勲社が見える。

境内の東を道路が通っており、鳥居がある。
南側の入口にも鳥居があるが、そちらが正面。
社殿は南面して鎮座している。
白山比咩神社の方向を向いているのかもしれないが、
事情は不明。

社殿の左手に石祠があるが、明治に合併された道勲神社。

道路脇の東の鳥居からは、ちょうど正面に位置することになる。
つまり、南の鳥居の正面には額東神社社殿が南面してあり、
東の鳥居の正面には道勲神社が東面してある。
境内をクロスに用いた形の合併だろうか。面白い。

拝殿の周りには雪除けの囲いがあり、
その内側には白い石の狛犬が置かれていた。
表面が滑らかに風化しているのは、撫でられたためだろうか。
なんとなく、記憶に残っているので掲載してみた。


社号標

南入口の鳥居

境内の道勲社

拝殿

拝殿の狛犬

本殿

拝殿の狛犬

額東神社
鎮座地金沢市額谷町ロノ百三十番地
祭神伊邪那岐命 国底立命
祭日春祭 三月十七日 秋祭 十月十七・八日
新嘗祭 十一月二十三日
由緒 創立年代は奈良時代の神護景雲二年(七六八)と伝え  初めは額山に鎮座したという 額地方の東部に位置する ので 額東神社と称したのである 祈年祭に国幣にあず かった延喜式内の名社である 中世には加賀の守護富樫 氏の崇敬が厚く 家臣の金子氏が奉仕にあたったと伝え 一向一揆の兵火にかかって現地に移転したといわれてい る 古くから額七ヶ村の総社と仰がれ 近年には山伏の 宝高寺が奉祀したという
明治初年に村社に列し 同三十三年には郷社に昇格  同四十一年には額谷の道勲神社(国底立命を祭る)を 合併した ついで一千百五十年祭には もと出雲大社 宮司 司法大臣 男爵 千家尊福氏が
「いざなひて仰ぐはうれし久方の天のみ柱めぐる月日を」 という祝賀の歌を寄せた
祭神の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は天照大神の父神 であり 国底立命(くにのそこたちのみこと)は国土の根源 の神として知られる
文学博士 小倉 学 撰

−境内石碑より−



【 額東神社(印刷用ページ) 】

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