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布制神社
ふせいじんじゃ
長野県長野市篠ノ井字山布施1  Zenrin Data Com Maps display !!


花菱

式内社 信濃國更級郡 布制神社
旧郷社

御祭神
天照大神 大彦命

長野県長野市にある。
篠ノ井駅の北西、道なりに進んで9Kmほどの山布施に鎮座。
86号線をウネウネと上っていくと、道の北側に境内入口がある。

「延喜式内 ■社 布制神社」と刻まれた社号標が建っており
「郷社」の「郷」の字が埋められて消されている。
これは社格廃止に伴う処置で、各地の神社社号標にも見られるもの。
歴史の証なので、消さなくても良いと思うのだが、
神社の潔癖さのあらわれということだろうか。

木製鳥居をくぐると参道。
参道左右には木々が聳え、正面に社殿。
元は萱葺だったと思われる拝殿の後方に、
神明造の本殿が鎮座。
拝殿と比べて、本殿がやや小ぶりなのが印象的。

社殿の左手に、御神木らしき木があり、
その根本に境内社と思われる社殿や石祠があるが、詳細は不明。
『明治神社誌料』には、境内社として金刀比羅の名があるが
この境内社が金刀比羅社だろうか。とにかく未確認。

だが、生き物のように四方に延びた枝を持つ御神木の根元にあり
不思議な雰囲気を醸し出しているのが興味深い。

創祀年代は不詳。

社伝によると、
神護景二年(768)高橋朝臣国是之が、更級郡の大領に任じられ
下総国結城布制郷の人民を従えて当地に移住し、土地を開拓した。
後、宝亀八年(777)布施氏の祖・大彦命を勧請したという。

また『信州宝鑑』には、光仁天皇の御宇(708−782)、
宝祚長久国家安全を祈願して、伊勢神宮の分霊を勧請とある。

安和二年(969)佐久の望月氏が移り住み
氏を布施を改めて布施郷を領治し
以後、当社は神明宮と称するようになったが、
文化七年(1810)吉田家に請うて社号の許可を得、布制神社と改称。

明治六年四月郷社に列した。

舞台を兼ねているような拝殿の奥を覗くと、
花菱紋を染めた幕がかかっていた。
神明宮と呼ばれており、伊勢神宮と同じ神紋なのだろう。


鳥居

参道

社殿

境内

本殿

拝殿

境内社


【 布制神社 (篠ノ井山布施)(印刷用ページ) 】

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