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奄我神社
あんがじんじゃ
京都府福知山市中字立戸2114  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 丹波國天田郡 奄我神社
旧村社

御祭神
天穗日命 生嶋神 氣長足姫命

京都府福知山市にある。
福知山駅の北4Kmほどの中に鎮座。
音無瀬橋を渡って由良川を越え、55号線を北上して2Kmほど。
小学校の南に、55号線に面して南向きの境内がある。

境内は石の垣に囲まれているが、
その垣の外、右手に池のような場所があり、祠が一つある。
境内社の篠島神社だ。

境内入口を入り、鳥居をくぐると
正面奥、石組みの上に社殿が並んでいる。
拝殿は入母屋造。後方の本殿は流造。
社殿は文化四年(1807)の大火で延焼し、
文化九年に再建されたままだったが、
昭和五十三年十月に境内の北側の森を売却し
全面改築されたらしい。

境内は砂利が敷き詰められて非常に綺麗。
境内入口にクスノキの巨木がそびえ、
八月の炎天下での参拝だったが、境内の大部分が木陰となっていた。
以前は、杉の大木三本と椋の大木もあったそうだが
昭和三十六年の台風で倒れたそうだ。惜しい。

創祀年代は不詳。

『続日本紀』に宝亀四年(773)九月に条に
「壬辰丹波國天田郡奄我社有盜 喫供祭物斃社中 即去十許丈 更立社焉」
とあり、773年に、当社に盗人が入り、供物を食べて中毒したので
その穢れを除くため、十許丈ほど隔てて建替えたらしい、というほどの古社。

式内社・奄我神社に比定されている神社で、
もとは、現在地の北方3Kmの字筈巻に鎮座していたとか、
あるいは、東方2Kmの字猪崎小字泉谷の奥にあったとか、
中の聖大明神古跡であったとか、諸説あるようだ。

本殿は三社造で、中央に天穗日命
左右に氣長足姫命・生嶋神を祀っている。

当地に勢力のあった奄我氏が祖神を祀った神社だが
中世になって源氏小笠原氏の末流・塩見氏が勢力を持ち
八幡神が合祀され、一般には、中村の八幡さんと呼ばれているらしい。
また、神功皇后(氣長足姫命)を祀るためか聖大明神とも。

本殿右手に立派な構えの境内社が一つ。
八幡神社に摂社・高良厄神社が合祀されている。
『式内社調査報告』によると、
実際は八幡神(応神天皇)は本社に合祀されており、
本社祭神に応神天皇が含まれていると記されているが、
『平成祭データ』では、八幡神社に応神天皇が祀られている。

本殿の左手には境内社が二社。南面する奥森神社(仲哀天皇)と
粟島神社・金刀比羅神社・稲荷神社・出雲大社を合祀した幸神神社。

境内の左手に漆喰の神庫があり、巴紋が付けられていた。
三つ巴が当社の神紋だろう。


社域

鳥居

垣外の篠島神社

境内

本殿

拝殿

本殿と八幡神社

拝殿

本殿

神庫

幸神神社・奥森神社

庵我神社御由緒
当社は、古く奈良朝の頃の創建にして社殿中央に天穂日命(天孫卸降臨の前高天原から出雲に使に立たれた神様で土師部の祖)を左に生島神(八十島の守護神)右に気長足姫命(聖大明神と称し仲哀天皇の后)を左右配神として祭祀する由緒ある式内社なり、昔この地方に勢力を誇っていた土器等の製造を業とする部民である土師連が祖先を守護神として祀ったもので福知山藩累代城主の崇敬篤く宝物、神饌物等の奉献あり、天正八年福知山内記十六軒町にありし八幡神社を当社に遷し祀ってよりは専ら八幡宮又は、八幡神社と称せられ霊威極めてあらたかな鎮守の神として尊崇され、現在庵我地区(猪崎、城山、下猪崎、中、池部)の氏神としてのみならずこの地方の守護神として崇敬されている。
社宝の正二位聖大明神の扁額は重要文化財の指定を受けており、他に多くの社宝あり

−『平成祭データ』−



【 奄我神社 (福知山市)(印刷用ページ) 】

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