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何鹿神社
いつしかじんじゃ
京都府船井郡京丹波町曽根竿代29
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京都府の京丹波町にある。
山陰本線・下山駅の南6Kmほどの曽根に鎮座。
京丹波町役場の西1Kmほどにあり、丹波自然運動公園の南、
444号線(桧山丹波線)に面して境内の森がある。
鳥居をくぐり、木々の茂る参道を歩くと、正面に拝殿。
拝殿の奥、垣に囲まれた場所に、本殿覆屋がある。
社頭の案内板によると、平成十一年不審火により社殿が焼失し
現在の社殿は、平成十三年に完成したもの。
というわけで、境内の砂利も、草木も
社殿も新しく、開けた明るい境内で気持ちが良い。
創祀年代は不詳。
社伝によると天武天皇白鳳期の創立で、
大宝二年(702)に出石鹿部神社と称したという。
式内社・出石鹿部神社に比定されている古社。
後、正和四年(1315)から現社号・何鹿神社と称するようになった。
出鹿郷の総社として崇敬され「一の宮」とも称されていたらしい。
昔は、当社の西方500mの地にあった神輿岩に、
山王荘七社の神輿が集合し、祭礼を行ったようだ。
境内右手に境内社が二社。
春日神社と大原神社が祀られている。
また、神宮遥拝所として石碑が建っている。
社頭 |
鳥居 | 参道 |
拝殿 | 本殿覆屋 |
社殿 |
本殿覆屋 | 境内社 |
何鹿神社
白鳳時代(推古朝代)に既に祀られていた。大宝二年(七〇二)から出石鹿磯部神社と称されていた。何鹿神社と呼ばれるようになつたのは正和四年(一三一五)からである。永禄十二年(一五六九)寛永十五年(一六三八)弘化五年(一八四七)三回の建築記録がある。現在の社殿は弘化五年のものである。 社殿の様式、三間社流れ造り、向拝中央に軒唐破風を設ける。梁などの構造部材は太く丹念に仕上げられ直線的な強さを示し厳正な形をしている。彫り物は紅葉と鹿龍が彫られその姿は優しく全体の謹厳な雰囲気を適度に柔らげている。 神社の創建は古く文化財的な価値も高い、付近には古墳もあり多くの伝説がある。その記録は神社に保管されている。 花おかや夜をふかし野にきてみれば衣のすそはしおたえにけり。一休和尚 −『平成祭データ』− 何鹿神社(延喜式内 出石鹿部神社)
−社頭案内板− |
【 何鹿神社 (京丹波町)(印刷用ページ) 】