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河牟奈備神社
かむなびじんじゃ
京都府綾部市十倉名畑町古気良10−1  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 丹波國何鹿郡 珂牟奈備神社
旧郷社

御祭神
天下春命

京都府綾部市にある。
綾部駅の北東10Kmほどの十倉名畑町に鎮座。
綾部駅から東へ進み由良川を越えて27号線へ。
由良川に沿って27号線を東へ進み、
山家駅付近で1号線に入って北上。
道なりに8Kmほど進むと、1号線の北側に境内がある。

ちょうどT字路になっている場所にあり、
階段上に大きな鳥居が建っている。
境内の向きは南東向きだろうか。

参拝は8月の休日。朝日が昇った頃。
車が通る気配が、まったく無かったので
道路の真ん中に仁王立ちになって撮影した。

階段を上り鳥居をくぐると境内。
社務所などがある広い境内の奥に階段があり
階段を上ると社殿が建っている。

社殿は、覆屋に納まったどっしりとした本殿。
現在の本殿は宝暦三年(1753)九月の造営らしい。

社殿の左手に四角く整地された場所があるのだが何だろう。
なにか祭祀に係る場所なのだろうか。

社伝によると和銅年間の創祀。

近世には、大宮一宮大明神と称され、
元井根村を中心とした八ヵ村の氏神で、
鎮座地は今も大宮と呼ばれている。

式内社・珂牟奈備神社に比定されている古社だが、
延喜式九条家本には、河牟奈備神社と記載されており
現在の社号は、河牟奈備神社となっている。

元亀・天正の兵火にかかり
宝物古記録等は焼失してしまったという。

鎮座地背後の河牟奈備山には神の宿る山とされ
「常盤なる神なび山の榊葉を、さしてぞ祈る万世の為」(1032年)
「みしまゆふ肩にとりかけ神なびの、山の榊をかざしにぞする」(1182年)
などと詠まれている。

祭神は、天下春神
八意思兼命の子で、天饒速日命の従神。
異説として、丹波国造の祖神、神魂命などとする説があるようだ。

社殿右手に境内摂社が二つ並んでいる。
右から吉田社と阿上社。

阿上社の祠の下に、平安期(永久二年)の銘のある石碑がある。
現在、綾部市の文化財となっているようで
綾部市最古の金文石。
アップで撮影する予定だったのだが、
コンクリートで固められた御神体の石碑を見て、
「え〜っ」と、ちょっと驚いたので撮影し忘れてしまった。


社頭

鳥居

境内

境内

社殿

覆屋

本殿

境内

阿上社・吉田社

式内社 可牟奈備神社
祭神 天下春神
 この地を今も大宮というのはかつて崇敬 あつい近郷近在の大社であった故であろう。 境内に数基の古墳がある。元亀天正の頃、 兵火にかかり宝物記事等を焼失した。
 後朱雀天皇の長元九年(一〇三六)大嘗会 主基方神遊の歌に丹波国神奈備を
常盤なる神奈備山の榊葉 さしてぞ祈る万代のため(千載集)
と詠まれているが神奈備山はこの大宮の後 背の山といわれている。尚境内の阿上社に は永久二年(一一一四)銘の御神体の石碑が ある。現在、綾部市最古の金石文である。

−社頭案内板−



和銅年間の創立で、延喜式内社、元井根村を氏子元として八ヶ村の氏神であった。今も大宮というのは、崇敬の厚い近在の大社であったためである。元亀、天正年間兵火により宝物、記録等焼失した。後、後朱雀天皇の長元九年大嘗会主基方神遊の歌(千載集)に神奈備山を歌った歌がある。「みしまゆふ肩にとりかけ神なびの山の榊をかざしにぞする」
阿上社には永久二年銘の御神体の石碑がある。(1114年)現在綾部市最古の金石文であり、(平安末期)昭和五十年九月十一日有形文化財となる。

−『平成祭データ』−



【 河牟奈備神社 (綾部市)(印刷用ページ) 】

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