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鵜坂神社
うさかじんじゃ
富山県富山市婦中町鵜坂212
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式内社 越中國婦負郡 鵜坂神社 |
富山県富山市婦中町にある。
富山駅の南西5Kmほど。神通川の西岸に鎮座。
東岸には富山空港がある。
井田川や熊野川などが合流する肥沃な土地。
境内入口は南。社号標に巴紋が刻印されている。
参拝時には、氏子の方々が境内の掃除。
そろそろ終えて、帰路につく頃だった。
社伝によると、崇神天皇の御代、大彦命によって勧請された神社で、
白雉二年(651)の創立、あるいは再建という。
天平二十年(748)の春、大伴家持が当地へ訪れ、
詠んだ歌が、万葉集に残されている。
祭神は、現在、淤母陀琉神・訶志古泥神となっているが、
鵜坂神とする説が主流。
配祀の姉姫神・妻姫神を、鵜坂神の姉と妻と考えられており、
「三代実録」貞観五年に鵜坂姉比咩神、鵜坂妻比咩神と記され、
神階を受けている。
婦負(ねひ)郡の名は、姉比咩から名付けられたという説もある。
合祀の神々は、大正時代に鵜坂村の小社を合祀したもの。
当社の特殊神事に、楉祭というのがあったらしい。
別名、尻打祭。
婦女の貞操を戒めるために、尻を打つ祭。
公家の遊びが伝わったもので、芭蕉や其角も、この神事を詠んでいる。
『和漢三才図会』によると、
「祭礼に神主は榊の枝で婦女を打つ。
打つ数は婦女が触れた男夫の数に従う。」とある。
その後、女馬を代用するようになったが、
現在は廃絶しているという。
参道脇に、「疣石」という石がある。
疣や痔に霊験があるらしい。
お尻に縁のある神社なのだな。
社号標 | 境内入口 | 参道の「疣石」 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |
社事歴 楉祭の奇祭で知られた本神社は、約2,000年前、 第10代崇神天皇の頃北陸地方を開拓した大彦命の 勧請により創建され、奈良時代初期には高僧行基が 24院7堂伽藍を建立し、万葉集にもその名が見え るなど、鵜坂神の神威は都にも聞こえ、平安時代に は神階従3位に上り、天皇の病気平癒を祈願する使 いを度々遣わされるなど延喜式神明帳に名を連ね、 明治6年社格制定により県社となった越中有数の 旧社である。 御祭神 御祭神は神代第6代の国土・人体造成の夫婦神、 面足尊、惶根尊と婦負地方開拓の祖神であり郡名の 起源でもある鵜坂姉姫神、鵜坂妻姫神、それと大彦命 を祭り、五穀豊饒・商売繁盛、交通安全の守護神、 また尻打祭の縁起により縁結ぴ、安産の神として信 仰を集めている。 主な恒例祭儀
楉祭(尻打祭) 本神社で平安時代から江戸時代まで行われていた 楉祭は、婦女の貞操を戒める神事として日本5大奇 祭のひとつに数えられ全国的に有名であった。この 神事の起源は、正月に七草粥を炊いた残りの薪で女 性の尻を打つと健康な子が生まれるという平安朝の 公家の遊びが伝わったもので、安産、縁結ぴ、増産 を願ったものと思われる。 この祭りは明治初期から第2次大戦の終戦まで、 雌馬を使って名残をとどめていた。 いかにせん 鵜坂の社にみはすとも 君がしもとの 数ならぬ身を 源俊頼(平安朝歌人) 油断して行くな鵜坂の尻打祭 芭蕉 あなこはや鵜坂祭の音にむち 其角 鵜坂河 渡る瀬多み この吾が馬の 足掻きの水に 衣ぬれにけり 大伴家持 (万葉集巻十七、四〇二二) −神社由緒より− 疣石 疣に悩む人は その部位を摩り 痔に苦しむ人は 静かに腰かけて 平癒を祈れば 治るといわれています −参道案内− |
【 鵜坂神社 (富山市婦中町)(印刷用ページ) 】