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鵜甘神社
うかんじんじゃ
福井県越前市入谷町33−7
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式内社 越前國今立郡 鵜甘神社 |
福井県越前市にある。
JR武生駅の東10Kmほどの入谷町に鎮座。
201号線(菅生武生線)をひたすら進むと、
日野川の支流・鞍谷川の上流、石休川の近く、
道路に面して境内がある。
境内入口は西向き。
境内は、石段の上にあり、道路より少し高い。
数段の階段を登ると鳥居がある。
鳥居の右手に「式内村社鵜甘神社」と
刻まれていた(と思う)社号標がある。
参道を進むと、境内の奥に社殿があるが
社殿の前の灯籠が一基崩壊しており、
修復を待っていた。(2006年5月初旬)
『福井県神社誌』に、本殿は流造と書かれているが、
この社殿の中にあるのだろうか。
式内社・鵜甘神社の論社。
社伝によると、
神武天皇が大和国吉野河の河尻にお入りの時
簗を作って魚を捕っていた翁がいた。
その翁が「私は国神で贄持の子であります」といい
今後、天神の御子が召し上がる御贄を奉りますといって
生き生きとした香魚(鮎)を献上すると
天皇は大いに喜び
永く膳部(かしわべ)として仕えるように命じられた。
この翁が鵜養部の始祖である。
この翁の子孫が清らかな水を求めて、
鵜養部を率いて住みついた地が入谷であるといい、
鵜養部が、祖神を祀った神社が当社である。
境内の案内板には、
「木造四天王像三躯」の説明が書かれていたが
社殿内にあるのだろうか。
『福井県神社誌』には、当社の神紋は「菊桐」と書かれている。
これは、菊紋と桐紋の両紋ということだろう。
参拝時には未確認なのだ。
社頭 |
鳥居 | 社殿 |
境内社殿 |
倒壊した灯籠 | 社殿 |
越前市指定文化財
四天王像のうちの三体である。木造四天王像三躯 像は一木で彫られ、両腕をはぎ付けて ある。足下に踏んでいる邪鬼は像に比較 してやや大きく造られている。像は頭部 がやや大きくゆったりとし、動きが少な く静かな感じをうける。脚下の線の太い 彫り方の邪鬼など平安時代末期の製作に なるものと思われる。 −境内案内板− |
【 鵜甘神社 (越前市入谷町)(印刷用ページ) 】