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波知加麻神社
はちかまじんじゃ
東京都大島町泉津字不重250−2  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 伊豆國賀茂郡 波治神社
旧郷社

御祭神
大廣祇命

伊豆半島の南東25Kmにある大島(伊豆大島)にある。
大島の北西部にある泉津に鎮座。
大島を一周する道路を、泉津の集落から少し南下した場所。
道路から山側へ入る道の突き当たり、
石段の上に鳥居が立っている。

鳥居の奥に参道が続いているのだが
広い杉(だと思う)の林の中、奥へと続く参道の先は見えない。
2〜300mほどの参道を歩くと
木立の中に社殿が見えてくる。

境内は、沢に近いためか、午前中に雨が降ったからか
なんとなく湿気が多く、地面は苔に覆われて、
密度の濃い空気が満ちている、そんな印象の神社。

当社の社号について、神社庁資料には「波知加麻神社」とあり、
社前の由緒書には「 波治加麻神社」とある。

参拝は、四月の連休の午後。

創祀年代は不詳。

式内社・波治神社に比定されている古社。

『三宅記』によると、大島に置かれた、
三島大神の后の一人・波布比咩命に二人の王子あり
一人は「太郎王子おほい所」とあり
一人は「次郎王子すくない所」とある、
その次男・波治命が当社の祭神。長男が大宮神社祭神・阿治古命。
ただし『神社明細帳』には大廣祇命と記されている。

社号の「波治加麻」は、波治という地の山間部という意味で
「波治ケ間」となったらしく、
古記録には、八可間、波治竈、羽路釜、蜂竈などと記されている。
当社の後方2Kmの地点には「蜂の尻」という山があり
その延長線上に三原山の火口が位置しており
当社も三原山を信仰対象とする神社であるらしい。


社頭

鳥居

参道

参道

参道

境内

拝殿

本殿

境内社の石祠

波治加麻神社
 ここの地名を波治ケ間と称している。
 祭事は波知命、三宅記に言う、「王子二人まし ます一人を次郎の王子」とあるのはこの波治命で あり、元禄元年(一六八八)の棟札に八何間大明 神、元禄十三年(一七〇〇)の棟札に波治竈明神 と記されている。社殿は昭和に入って建築された ものである。」
 「三宅記」とは室町時代に書かれたもので著者 は不明。大島に関するところでは、大明神が諸龍 王に命じて島々を焼出させ、「一番の島を初めの 島(初島)二番の島を神集の島(神津島)三番目 の島をば、島大なる故に大島と名付けた」とある。
 また、五人の后の一人を大島に置いた。后の御 名は、はぶの大后と申し、その腹に王子二人おわ し、一人は太郎の王子大い所と申し、一人は次郎 の王子少ない所と申したと言う。ここに出てくる、 はぶの大后が波布比咩命神社、太郎王子(阿治古命) が大宮神社、次郎王子(波治命)が波治加麻神社 のそれぞれの祭神として祀られているものである。

−社頭案内板−



【 波知加麻神社 波治加麻神社 (伊豆大島)(印刷用ページ) 】

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