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波布比咩命神社
はぶひめのみことじんじゃ
東京都大島町波浮港18
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式内社 伊豆國賀茂郡 波布比賣命神社 |
伊豆大島にある。
大島の南東部にあり、
「波浮の港」や「アンコ椿は恋の花」などの
歌で有名な波浮港に鎮座。
波浮港への道の途中、港にちょっと突き出した場所に境内がある。
道路から少し下る参道があり、
参道をおりると突き当りに鳥居。
鳥居扁額には「波布比咩命」と書かれている。
境内入口は北向きで、
鳥居をくぐって参道を進むと社殿のある境内。
境内の左手に、港へ向かう鳥居が建っており
鳥居から階段を下ると海。
境内は港の口にあたる場所にあり、
出入りする船を見下ろす場所。
その海への階段脇には「波浮神社」と刻まれた社号標。
波浮港にあるため、当社の通称は波浮神社なのだろう。
たしかに波布比咩命神社というのは
通称としては読みにくい。
木々に囲まれた境内の奥(南側)に拝殿と本殿覆屋がある。
境内は、華やかさはないが、落ち着いた港の鎮守という雰囲気。
ただ、覆屋の中の本殿は美しい朱色で、
やはり女神を祀る神社の趣きがある。
創祀年代は不詳。
通称は、波浮明神。
『三宅記』に「三島の神大島に置き給ふ后を羽分の大后と申しける」とあり、
当社は、三島大明神の后神を祀る神社。
また、波布比咩命には二人の王子があり
一人は「太郎王子おほい所」、一人は「次郎王子すくない所」。
「太郎王子おほい所」が大島西側にある大宮神社の祭神で、
「次郎王子すくない所」が大島北東部にある波知加麻神社の祭神だそうだ。
波浮港は、もとは美しい清水をたたえた火口池であったらしく、
その当時に創建されたものとする説がある。
式内社・波布比賣命神社に比定され、
斎衡六年(855)正五位下を賜った古社。
伊豆下田の波布比咩命神社は、
貞享元年(1664)に再建された神社で、当社の分祀らしい。
社殿の屋根にも手水鉢にも三巴紋があったが、向きが違う。
迷ったが、下田の波布比咩命神社と同じ、手水鉢の三巴紋を掲載しておいた。
参道 | 社頭 |
鳥居 | 参道 |
境内 |
社殿と港側の鳥居 | 港に面した鳥居 |
港から鳥居 |
社殿 | 覆屋内に朱の本殿 |
波布比咩命神社のあらまし
御祭神は「はふ大后」で 三島大明神縁記(三宅記)によると、
「三島の神(事代主命)が大島に置給ふた后」である。野増の大宮
神社、泉津の波知加麻神社の母神に当る。古代伊豆地方を治められた三島の神は島々に后を置いて七島開拓 に努力せられた。後年大島の人々は崇拝する「はふ大后」を神とし てあがめ、火口池として清水をたたえた美しい波浮の池辺に神社を 建てたものと考えられる。 平安の延喜元年(西暦九〇一年)にできた国勢一覧にもこの名が あり、延喜式内社に列せられ正五位上が追贈されている。 当社は慶長十八年(一六一三年)からの棟札がよく保存され社殿 が整っていたことがわかる。 寛政十二年(一八〇〇年)波浮港村の誕生とともに波浮村民の鎮 守様となり毎年七月二十七日を祭儀として代々お祭されてきた。 波浮港に鎮座する波布比咩命様に朝夕出入する船頭達が頭を下げ る姿は世相の教ともうつるのである。 −社頭石碑− |