洲崎神社
すさきじんじゃ
千葉県館山市洲崎1697
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千葉県館山市にある。
館山市の西の端、つまり千葉県の先。
まさしく、洲の崎という場所。
館山駅から海岸沿いの道を7・8Km進んだ所。
道路脇に入口があり、御手洗山(120m)の中腹に鎮座している。
ちょっと天気が悪かったので、境内から見た海は灰色で、
どこまで海で、どこまで空なのかわからない状態だった。
天気が良ければ、境内から海が見渡せるはずだ。
社伝によれば、創建は神武天皇の御宇。
安房の開拓にあたった天富命が、祖母である
天比理乃咩命を御手洗山に祀った社。
山全体が社地であったため、斧を入れない原生林として、
現在、県の天然記念物となっている。
源頼朝の崇敬が篤く、『吾妻鏡』によると、
治承四年九月、源頼朝が当社に神田を寄進している。
当社の社号について。
資料によっては「すのさき」「すさき」とあり、
地名は「すのさき」だが、
由緒にある通り、元の名は洲神(「すさき」のかみ)であったらしい。
江戸時代には、安房国一宮とされている。
通常は安房神社が、一宮だが、
一宮は時代によって変わる場合もあるし、
安房神社祭神とは夫婦なので、二社並立というのも有り得るかな。
道路から少し入ったところに鳥居があり、
道路を走っていると見逃してしまうかもしれない。
僕は見逃して、安房神社近くまで走って気づきUターンした。
境内の様子を見ると、御手洗山全体が神域であることがわかる。
随身門をくぐると、百数十段の急な石段。
樹木から放出される、濃密な匂いを呼吸しながら上る。
鳥居
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神門
![マウスクリックで拡大/縮小します](suzaki_s0001.jpg) | 神門から階段
![マウスクリックで拡大/縮小します](suzaki_s0002.jpg) |
階段を上って正面が社殿。
境内には幾つかの境内社がある。
境内社
![マウスクリックで拡大/縮小します](suzaki_s0012.jpg) | 境内社
![マウスクリックで拡大/縮小します](suzaki_s0013.jpg) |
境内の右側の境内社脇に道があり、
その奥に行くと、朱色の本殿の側面を見ることができる。
濃緑の背景に、彩色された朱の本殿があざやか。
玉垣に近づき、しげしげと眺めると、見事な彫刻。
拝殿
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![マウスクリックで拡大/縮小します](suzaki_s0003.jpg) |
拝殿
![マウスクリックで拡大/縮小します](suzaki_s0004.jpg) | 拝殿扁額
![マウスクリックで拡大/縮小します](suzaki_s0014.jpg) |
参拝を終え、階段を下る。
鳥居の向うに灰色の海が広がっている。
境内から鳥居
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![マウスクリックで拡大/縮小します](suzaki_s0000.jpg) |
![](../../sinmon/kiku16_2.gif) | 式内 大社 | 洲崎神社 |
祭神 天比理乃咩命 |
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当社は延喜式神名帳に「后神天比理乃咩命神社大 元名洲神」と記され、
天太玉命の后神を祀る式内大社で、元の名を洲神と称した。
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由緒 |
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当社は宝暦三年(一七五三)の「洲崎大明神由緒旧記」によると、
神武天皇の御宇、天富命が御祖母神天比理乃咩命の奉持された御神
鏡を神霊として、洲辺の美多良洲山に祀られたことに始まる。
鎌倉時代の治承四年(一一八〇)安房に逃がれた源頼朝が、戦勝と
源氏再興を祈念して神田を寄進、後、妻政子の安産を祈願している。
室町時代には江戸城を築いた太田道灌が、江戸の鎮守として明神の
分霊を勧請したと伝えている。房総里見氏も当社を尊崇して、七代
義弘が神領五石を寄進し、江戸幕府もこれに倣って朱印状を下した。
幕末の文化九年(一八一二)房総沿岸警備を巡視した老中松平定信
は「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額を奉納している。
神位は平安時代に正一位、鎌倉時代に元寇戦勝祈願の功により勲二
等に叙せられ、明治六年(一八七三)県社に列せられた。往時、別
当寺は養老寺など五ヶ寺を数えた。洲崎明神は古来伝承されている
数々のあらたかな霊験から、安産・航海安全・豊漁・五穀豊穣や厄
除開運の守護神として信仰が厚く、現在に及んでいる。
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祭事 |
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祭礼は二月の初午と八月二十日・二十一日の例大祭があり、共に文
化庁選択記録保存・県指定無形民俗文化財の洲崎踊り(鹿島踊りと
弥勒踊り)が奉納される。八月の例大祭には勇壮な神輿の渡御や浜
祈祷も行われる。
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文化財その他 |
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社宝である養老元年(七一七)万治二年(一六五九)宝暦三年の各
縁起や御神体髪などのほか、江戸時代延宝年間の改築とされる神社
本殿は、共に市指定有形文化財であり、神社の鎮座する御手洗山は
洲崎神社自然林として県指定天然記念物となっている。また随身門
は宝永年間の造営、矢大神・左大神像は明治三年の作とされている。
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−境内由緒石碑−
市指定有形文化財 |
洲崎神社本殿 |
昭和四十二年二月二十一日指定 |
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洲崎神社の創建は神武元年と伝えられ、祭神は天
比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)である。
平安時代の「延喜式」にも載る古社で、鎌倉時代
には源頼朝が崇敬して、源家再興と戦勝を祈願し田
地を寄進していることが「吾妻鏡」にみえる。戦国
時代の初めには太田道灌が江戸城付近に当社の祭神
を勧請しており、広く信仰されていた神社である。
本殿は三間社流れ造で三方に木口縁をめぐらし、
銅板葺・千木勝男木を置き、唐様三手先組で外部は
丹塗仕上げ、木鼻欄間等に彫刻が施されている。
装飾が多く、江戸中期の神社建築の特徴をもつ貴
重な建物である。昭和六十一年に台風で土砂が流出
し、本殿が倒壊したため修復が行われた。
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−社頭案内より−
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