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杉山神社
すぎやまじんじゃ
神奈川県横浜市港北区新吉田町4509
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神奈川県横浜市にある。
市営地下鉄ブルーライン新羽駅の北3Kmほどの新吉田町に鎮座。
第三京阪都筑I.C.の東側の丘に境内がある。
地図でみると簡単に歩いて行けそうだったので、
ぶらぶらと歩いて参拝したが、途中で道に迷い
何度も丘を越えて歩きまわってようやく到着。
そのせいで、その後参拝する予定だったいくつかの神社を断念。
参拝後も駅に戻る道がわからず、車通りの多い道を歩き、
とりあえず走って来たバスに飛び乗ってどこかの駅から地下鉄に乗った。
ということで、境内入口に鳥居が立ち、
鳥居扁額や左手の社号標には「郷社 杉山神社」とある。
鳥居をくぐり階段をのぼると静かで広い境内。
参道脇に名木指定されているカヤの木がある。
境内の手水鉢に三つ巴紋が刻まれていたので写真を撮ろうとしゃがんだら
鉢の足元に四つの猿か力士かわからない像があり、
うつむき加減に鉢を担いでいた。面白い。
拝殿は瓦葺入母屋造。本殿は覆屋の中で確認できなかった。
資料には茅葺とあるが。
創祀年代は不詳。
当社境内を含む小字が「杉山」であり、付近に浅間塚という古墳もあることから
式内社・杉山神社の論社となっている。
もし当社がその杉山神社であれば、『続日本後紀』承和五年(838)に
官社に列せられたとある「武蔵国都筑郡枌山神」。
ただし、横浜近郊には杉山と称する神社が多く、
『式内社調査報告』によると、昔は
都筑に二十四社、橘樹に三十七社、久良岐に五社、南多摩に六社の七十二社あった。
その後、廃絶したり合祀されたりしたが、現在でも四十数社存在し、
式内社・杉山神社であると主張している社が十社ほどあるらしい。
『式内社調査報告』では、その中で当社を含む四社が紹介されている。
明治六年に郷社に列格。
明治四十一年十一月、村内の無格社三社を合祀した。
『明治神社誌料』には祭神は五十猛命だけなので、
配祀の三柱がその神々なのだろう。
確認した境内社は稲荷社と天神社。
手水鉢や拝殿の屋根に三つ巴紋があるが、
手水鉢の紋と拝殿の紋では向きが逆だった。
向きはどちらでも良いのか、あるいは三つ巴紋は神紋ではないのか。
社頭 |
参道階段 | 手水鉢 |
境内 |
本殿 | 拝殿 |
境内 |
稲荷社 | 天神社 |
杉山神社 由緒
鎮座地 横浜市港北区新吉田町四五〇九祭神 五十猛命、配祀 権五郎景政、比野聖廟、素盞嗚命 例祭日 十月九日 社殿 権現造、茅葺、二十四坪 境内 九〇〇坪 由緒沿革 武蔵式社記に、「都筑郡吉田と云うに杉山という小地名ありて其の処に座す社実蹟なり」 とあり、新編武蔵風土記稿には、「除地二段五畝、村の北方にあり、石階数級を登りて社前に鳥居を立つ、本社二間に二間半、拝殿三間に二間、南向、神体不動、村内正福寺の持」と記している。明治六年に郷社に列格、同四十一年十一月、村内の無格社三社を合祀した。 −『平成祭データ』− |