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赤城神社
あかぎじんじゃ
群馬県前橋市富士見町横室甲55
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式内社 上野國勢多郡 赤城神社 名神大 |
群馬県前橋市にある。
前橋駅の北9Kmほどの十二山(300m)の山頂に鎮座。
表参道入口が南側、
参道入口には「郷社赤城神社」と刻まれた社号標が立っており
少し進むと鳥居があるが、鳥居の奥は頂上まで続いた300段以上もある長い階段。
地図を見ると十二山の北側から、山頂境内へ入る道がある。
運動不足の身には辛いので、北側の探索に向ったが、
とにかく狭い農道があり、小さめの車ならなんとか入れる道を登って行くと
山頂境内の社殿の東側に出る。
山頂部はやや広い平坦で、非常に見晴らしの良い境内が心地よい。
遠く、妙義のギザギザの山もよく見える。
拝殿は瓦葺入母屋造平入りで、後方の本殿はシンプルな流造。
社殿の右手には石祠がいくつかあり、石碑・神石も祀られている。
山頂の案内によると、十二山は十二山公園と呼ばれ、
山つつじの名所になっているらしい。
また、十二山中腹には千基の庚申塔が点在しているらしいが、
歩いて登っていないので、僕は庚申塔は見ていない。
参拝当日は車で境内に入れて安堵したが、
今思うと、あの石段を自分の足で登っておけば良かったと、
少し後悔している。また機会があれば登ってみよう。
創祀年代は不詳。
『全国神社名鑑』によると大同元年勧請の古社。
『明治神社誌料』によると、
当社を延喜式内名神大社であるとする伝承もあるらしい。
廓橋城主の崇敬が篤く、城の鬼門鎮護の神として、
藩主みずから奉幣したという神社。
酒井河内守重忠公は社殿を改築し、
赤城山の里宮として、五穀豊穣・消病息災の祈願をした。
『全国神社名鑑』には明治四十年郷社に列したとあるが、
『明治神社誌料』によると、明治六年郷社に列し、
明治四十年七月十六日、境内末社の大山祇神社、八幡社、
妙義神社、衣笠社、八坂神社、神明社、稲荷神社、
および字創(草冠に創)鎮座の無格社諏訪神社と、
その境内社浅間神社、八坂神社、諏訪神社、風神社、
および字東澤口鎮座の無格社諏訪神社、境内社八幡宮、大国主神社、
抜鉾神社、厳島神社、竈三柱神社、大山祇神社を合祀したとある。
参道入口に社号標 | 参道鳥居 |
参道 | 頂上鳥居 |
境内 |
本殿 | 拝殿 |
見晴らしの良い十二山山頂の境内 |
十二山
標高三百メートルの
十二山は眺望が村内随一
といわれ表参道の三百三十三段の
石段を登ると
頂上に赤城神社がある。
また山の中腹には
県内でも珍しい千基の
庚申塔が点在する。この付近一帯を十二山公園といい、 赤城山と共につつじの名所で 五月頃には山つつじが 全山を紅に染め見事な景観を呈する。 −境内案内板より− |