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氷川神社
ひかわじんじゃ
埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1−407
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埼玉県さいたま市、旧大宮市にある。
大宮公園の横。北大宮駅の東500m。
中仙道に大鳥居があり、2Kmの参道が北へ延びる。
大宮駅の側に二之鳥居があり、そこから参拝を始めた。
雨の朝の参拝だったが、すでに多くの人が参拝に来ている様子。
参道の二之鳥居、三之鳥居を越えると広い境内。
神池の神橋を渡って楼門・回廊内に社殿がある。
創建は、社伝では孝昭天皇三年四月中の未の日、
素盞嗚尊・稲田姫命・大己貴命三神を祀ったという。
次いで景行天皇の皇子・日本武尊東征の折り、
当社を祈願所にしたことにより、相殿に日本武尊を祀るが、
現在は相殿に祀られていない。
成務天皇の御代、出雲族の兄多毛比命が武蔵国造となり、当社を奉崇した。
社名の氷川は、出雲肥河(斐伊川)の川上に鎮座する
杵築大社(出雲大社)からの勧請によるもの。
出雲大社からの勧請なら大己貴命が主祭神だと思うが、
主祭神は素盞嗚尊。
出雲斐伊神社の由緒では、斐伊神社の分霊が当社へ祀られたとされており、
斐伊神社は、斐伊川(肥河)の側にある素盞嗚尊を祀る神社。
氷川神社の分社、あるいは関連社は武蔵全域に多く、
特に埼玉県には、氷川神社が160社以上存在する。
当社鎮座地は、昔、見沼原と呼ばれ、
見沼に面して、男体宮である当社、女体宮である氷川女体神社、
簸王子宮である大宮中川の中山神社が同間隔に鎮座している。
かっては三社を総称して氷川神社と考えられていたという説がある。
また、氷川神社、所沢山口の中氷川神社、奥多摩氷川の奥氷川神社が
それぞれ、本社・中社・奥社の関係で一直線に並んでいるという。
神紋は八雲紋。祭神・素盞嗚尊の有名な八雲の歌に依存するのだろう。
当社の神輿は三之鳥居を出ないのが決まりらしく、
素盞嗚尊の天照大御神への服従をしめすものという。
現在の境内地は約3万坪。
明治17年に社殿背後の16万坪が大宮市に寄付され、
大宮公園となった。
二之鳥居 | 三之鳥居 |
神池にかかる神橋 |
神橋渡る | 楼門 |
楼門 |
舞殿 | 舞殿 |
社殿 |
拝殿内から本殿 |
由緒
氷川神社は今から凡そ二千有余年前、第五代孝昭天皇の御代三年
四月未の日の御創立と伝えられます。当神社は、歴朝の御崇敬・武将
の尊敬も篤く、景行天皇の御代日本武尊は東夷鎮圧の祈願をなされ、
成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となっ
て氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き、格式
高く聖武天皇の御代武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定され
た延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預り
又臨時祭にも奉幣に預っています。武家時代になってからは鎌倉、
足利、徳川の各将軍家等相継いで尊仰し、奉行に命じて社殿を造営し
社領を寄進する等、祭祀も厳重に行われていました。 明治の御代に至っては明治元年、都を東京に遷され当社を武蔵国の 鎮守・勅祭の社と御定めになり天皇御親ら祭儀を執り行われました。 次いで明治四年には官幣大社に列せられました。 昭和九年昭和天皇御親拝、昭和三十八年今上陛下が皇太子時に 御参拝になられ、昭和四十二年十月、明治天皇御親祭百年大祭が執り 行われ社殿、その他の諸建物の修復工事が完成し、十月二十三日 昭和天皇・皇后両陛下御揃いで親しく御参拝になられました。昭和 六十二年七月には天皇・皇后両陛下(当時皇太子・同妃殿下)が 御参拝になられました。 −境内案内より− 氷川神社
所在地 大宮市高鼻四ノ一ノ一
氷川神社は、社記によると代五代孝昭天皇の三年四月未の日の創立と伝えられる。当神社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、 「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。 古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇の とき、武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇し たと伝えられる。その後、聖武天皇(七二四〜四九年)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、つい で称徳天皇の天平神護二年(七六六)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進さ れた。さらに醍醐天皇の延長五年(九二七)の「延喜式神明帳」には、名神大社として破格の月次 新嘗の社格が与えられている。 このほか、鎌倉時代には、治承四年(一一八〇)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が 寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長九年(一六〇 四)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄五年(一五九六)と寛文七年(一六六七) には社頭の整備と社殿の造営が行われている。 その後、明治元年(一八六八)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定めら れ、明治天皇みずから親拝になった。同四年官幣大社となり、同十五年に本殿・拝殿などを改 造し、さらに昭和十五年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。 祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。 例大祭は八月一日。そのほか神事の中で特に有名なのが十二月十日の大湯祭である。 −参道案内より− |
境内社とその祭神。
門客人神社(足摩乳命・手摩乳命)、天津神社(少彦名命)、
宗像神社(宗像三女神)、松尾神社(大山咋命)、
御嶽神社(大己貴命・少彦名命)、稲荷神社(倉稲魂命)、
六社には、
山祇神社(大山祇命)・石上神社(布都御魂命)・愛宕神社(迦具土命)
・雷神社(大雷命)・住吉神社(墨前三神)・神明神社(天照大御神)。
他に天満宮(菅原道真)があるらしいが、見落としたかも。
垣外、右手にある門客人神社と御嶽神社 |
境内右手の六社 | そして天津神社 |
境内左手の稲荷神社 | そして宗像神社 |
松尾神社 | 額殿と神楽殿 |