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三原神社
みはらじんじゃ
東京都大島町三原山  Zenrin Data Com Maps display !!

大宮神社境外社

御祭神
阿治古命

伊豆半島の南東25Kmにある大島(伊豆大島)にある。
大島の中心部にある火山・三原山(764m)山頂に鎮座。

伊豆大島へのアクセスは、東海汽船を利用するか、飛行機を利用する。
東海汽船を利用する場合は、大型客船かジェット船になるのだが
その入港地が波の状態によって、
大島西部の元町港か、大島北部の岡田港になる。

三原山へ登るルートはいくつかあるが
僕は元町近くの「御神火スカイライン」から。
山頂付近に駐車場があり、茶屋や展望台がある。

山頂といっても、三原山山頂はカルデラ状になっており
駐車場からさらに内輪山まで遊歩道(2.2Km、45分)を歩く。
その内輪山の上に、当社境内がある。

駐車場近くの展望広場入口近くに、内輪山山頂への遥拝所が
ひっそりと鎮座している。

内輪山までの遊歩道は、綺麗に舗装された道。
最初は少し下って、平原の中の平坦な舗装路を歩くと内輪山の麓。
ここまでは鼻歌交じりに進めるのだが、そこから登りが少し辛い。
風も強いので、注意しながらゆっくり登ると、
大きな岩の横に鳥居が立っている。

鳥居をくぐり、火口から出る方向に坂道を下ると境内。
境内の中、社殿付近まで溶岩が迫っており、
中央部に赤い屋根の白い社殿がある。

創祀年代は不詳。

寛政三年(1791)の『南方海島志』には
「本宮三原明神、一島ノ本祠なり」とあり、
『伊豆七島志』には
「三原全山ヲ祭リテ祠宇ナク、タダ山麓ニ拝所及華表建ルノミ、
従来一島ノ総鎮守ト称ス」とあり
古来、三原山全体が無社殿の「三原明神」として崇められ
全島の奥宮として、麓の村々の主な神社は、みな三原明神の遥拝所であった。

最初に社殿が建てられたのは、大正末期から昭和初期のことらしい。
また「三原」は「ミホラ(御洞)」の転訛とする説がある。


駐車場近く展望広場入口の三原神社(遥拝所)

遊歩道から山頂(内輪山)、中央左の出っ張り脇が境内

鳥居

参道

参道

参道から外輪山

境内と社殿

三原神社
古代から三原山の噴火は神のなせる業として 受けとめ、噴火口全域を御神火として信仰し 崇めてきた。三原山の近くに阿治古と呼ばれ る古い地域に集落があり、阿治古神社が鎮座 していた。たびたびの噴火降灰により、一四 六六年(室町時代、文正二年)祭神阿治古命 を大宮の地に遷座したため、御神火が遠くな り阿治古命を三原大明神として祀る様になっ たと思われる。
伊豆大島差出し帳の記述によれば一七八九年 (天明九年)にはすでに三原神社が鎮座して おり毎年六月一日に三原神社の祭礼が行われ 島民は神主と共に祭礼の一週間前よりお籠り をして身を清め参拝したとある。
これまでに溶岩が火口より砂漠へ流れ出した のは一九一〇年〜一九二三年(明治大正)と 一九五〇年〜一九五三年及び一九八六年(全 島民避難)の噴火である。三原神社はこの昭 和の大噴火による溶岩流も「なぜか」神殿を 避け直前で両側へとながれを変えている。こ れこそ古代からの信仰である御神火のなせる 業ではないだろうか。不思議の一言につきる。

−境内案内板−



【 三原神社 (伊豆大島) 】

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