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高家神社
たかべじんじゃ
千葉県南房総市千倉町南朝夷164
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式内社 安房國朝夷郡 高家神社 |
安房郡南房総市千倉町にある。
場所が説明しにくいのだが、白浜から410号線を進むと、
千倉駅方面へそれて、すぐに左折。
そこから4・500mほど西へ進んだあたりにある。
道路の向かい側に駐車場がある場所。
境内にはいると、鳥居があり、参道の向うに美しい社殿が見える。
社名は、「高家」と書いて「たかべ」と読み、
祭神・磐鹿六雁命を高倍神ともいう。
磐鹿六雁命は、大彦命の孫でもある。
『日本書紀』によると、景行天皇が皇子・日本武尊の平定した東国巡視のおり、
安房の浮島の行宮を定め、覚賀鳥(カモメの事)の声を聞こうと、舟遊び。
その時、侍臣の磐鹿六雁命が、白蛤と鰹を膾にして献上。天皇が感激して、
磐鹿六雁命を膳大伴部とし、子孫を高橋氏として大膳職に任じたという。
ということで、日本唯一・料理の祖神を祀った神社らしい。
宮中大膳職坐神三座の一つ、高倍神社は、当社縁ということになる。
一時期衰退し、不明となっていたが、江戸時代に神鏡が発見され、当地に祀られた。
その神鏡には、「御食津神、磐鹿六雁命」と記されていたという。
磐鹿六雁命は、若狭と安房の国の長となったということだが、
敦賀の気比神社の「御食神」と関連あるのだろうか。
社殿の前の階段に、木製の簡易な鳥居が設置されている。
これは常設というわけではないようだ。
御朱印をいただいた時に、お聞きすると、
階段が新設されて間が無いので、通り初めとして設置ということ。
神紋は、社殿の賽銭箱に付いていたもの。
金ピカで綺麗だったので、実写版にしてみた。
境内は整備され、階段も新しくなり、
清潔感の漂う神社。料理の祖神だからかな。
以前は松林があったそうだが、松喰虫の害で、伐採されたらしい。
社殿の前、左右に包丁塚が祀られている。さすが。
拝殿内に掲げられている額は、
文政2年に京都吉田御所から御神号額を賜った時のもの。
神祇道管領卜部朝臣良長の名がある。
社号 | 鳥居 |
社殿左の包丁塚 | 参道 | 社殿右の包丁塚 |
社殿 |
拝殿内の額 | 拝殿 | 本殿 |
高家神社由来 主祭神 磐鹿六雁命(尊称・高倍神) 天照大神・稲荷大神を併せ祀る ◆例祭日
「日本書紀」の第十二代景行天皇五三年冬十月の条に祭神・磐鹿六雁命に ついて記されているが、延暦八年(七八九)に磐鹿六雁命の子孫である高橋 氏が朝廷に奉ったとされる「高橋氏文」にさらに詳細に記述されている。 景行天皇が皇子日本武尊の東国平定の事績を偲ぴ、安房の浮島の宮に行幸 された折、侍臣の磐鹿六雁命が、弓の弦をとり海に人れた所堅魚を釣りあげ、 また砂浜を歩いている時、足に触れたものを採ると白蛤(=はまぐリ)がろ れた。磐鹿六雁命はこの堅魚と白蛤を膾にして差し上げたところ、天皇は大 いに賞味され、その料理の技を厚く賞せられ、膳大伴部を賜った。 この功により若狭の国、安房の国の長と定められ、以後代々子孫は膳の職 を継ぎ、もし世継ぎの無いときは、天皇の皇子を継がせ、他の氏を交えず、皇 室の食事を司るよう賜った。 また、大いなる瓶(かめ=ベ)に例え、高倍さまとして宮中醤院で醤抽醸 造・調味料の神として祀られている。醤には、野菜を発酵させた草醤、穀物 を発酵させた殻醤、魚などを発酵させた肉醤があった。今でいう潰物・味噌 醤油・塩辛の三種だが、これらは日本料理の基礎をなすものであり、磐鹿六 雁命が料理の祖神とされる由縁である。 高家神社は延喜式神名帳に登載される小社の一つである。現在の所に祀ら れたのは江戸時代の初頭にさかのぼる。 元和六年、現在の営司の祖先となる高木吉右衛門が桜の木の下から、木像 とニ面の御神鏡を発見し、社を建てて祀る。 二百年余りの後、、この鏡面に御食津神、磐鹿六雁命と記されていたことが わかり、当時所在があきらかではなかった高家神社の御神体であるとして、 文政二年に京都吉田御所に証を願い、御幣帛をいただく。神社拝殿内正面の 御神号額はこの時のもので、神祇道管領卜部朝臣良長の銘が刻ま れている。 江戸時代以降、醤油沿革史の著者・田中直太郎氏、料理法大全の石井治兵 衛氏、さらには日本料理研究会初代理事長・三宅孤軒氏等の労により、祭神 の御神徳が発揚され今日に到っている。 −『由緒書き』より− |