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下立松原神社
しもたてまつばらじんじゃ
千葉県南房総市白浜町滝口1728
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式内社 安房國朝夷郡 下立松原神社 |
千葉県の最南部、南房総市白浜町にある。
410号線を滝口で北上し、1Kmほどの場所。
小さな川を渡る橋の横に社号標があり、案内板。
橋を渡って数十mに、階段。
階段の上に鳥居があり、さらに階段。
参道を歩いて、もう一度階段を上ると境内。
入口の様子から、小ぶりの神社を想像していたが、
実際は、かなり立派なもの。木々も豊富で、背後の森も深い。
曇天のせいか、やや暗めの境内も、雰囲気がある。
晴天であっても、木漏れ日の境内は美しいだろう。
以前は、小鷹明神、あるいは滝口明神と呼ばれていた神社。
式内・下立松原神社の論社の一つ。
もうひとつ、千倉の同名社と、式内論争がおこったが、
両社とも証拠不十分で、そのままとなっている。
祭神・天日鷲命は、天太玉命の部下。
天太玉命の後裔である天富命が、天日鷲命の孫・由布津主命を率いて、
阿波から当地(安房)開拓のため上陸したという。
由布津主命が、祖神である天日鷲命を祀った神社。
『義経記』に、源頼朝が平家との石橋山の合戦に敗れ、
安房へにげのびて、まず、洲崎神社へ参拝し、その夜、
当社(滝口大明神)で通夜したとあるらしい。
当社へ合祀されている、式内・天神社(アマノカミノヤシロ)は、
社殿の右手に鎮座している。
昭和初期(あるいは大正時代)に隣村の谷(やつ)から当社へ合祀された。
階段の上は、草地になっており鳥居がポツンとある。
この時点では、小祠程度の境内を想像していた。
さらに階段を上ると、参道が続き、また鳥居。
参道の奥に見える階段が、なんとなく立派。
また、下からの車道が、この参道横に通じている。
ひょっとしたら、かなり大きな境内か。
階段上の鳥居 | 参道の鳥居 |
階段下に狛犬があり、ジッと見ていると、
突然笑い出しそうな雰囲気。
狛犬を見ていると、たまにそんな感じがする時がある。
境内階段下の狛犬 | 境内への階段 | 境内階段下の狛犬 |
階段を上ると、かなり広い境内だった。
社殿の前には、階段下の狛犬よりも立派な獅子。
玉や小獅子を片足で抑えている。
社殿前の狛犬 | 社殿 | 社殿前の狛犬 |
背後の木々も豊で深い。
静かで落ち着いた感じの良い神社だ。
拝殿の右側に、式内・天神社が鎮座。
境内拝殿 |
本殿 | 式内・天神社 |
参道の右手に、后神社と招魂社がある。
『平成祭データ』では、境内社に鹿倉三社というのがあるらしいが、
この后神社のことだろうか。
参道の招魂社 | 后神社 |
下立松原神社由緒
当社は天日鷲命を祀る式内社で、昔
朝廷の命により、天富命が天日鷲命
の孫 由布津主命 その他の神々と当地
方開拓に上陸し、後由布津主命が
祖神の天日鷲命を祀った社で
ある。上陸当時 野山に鹿が多く、
住民がその被害に苦しんでいたのを
神々が狩を行い害を除き住民を
安堵させた神徳を慕い今も神狩の
神事として旧暦十一月廿六日より
十日間 神狩祭が行われている。
なお大鹿の角が社宝として現存している。
古来武将の尊崇も厚く源頼朝公
里見義実公など太刀を奉納して
武運長久を祈願している。又安房の式内社であった天神社が 昭和初期当社に合祀されている。 −境内入口の案内板− |