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六郷神社
ろくごうじんじゃ
東京都大田区東六郷3−10−18  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴



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式内社 武蔵國荏原郡 薭田神社
旧郷社

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御祭神
誉田別命

東京都大田区にある。
京急線・雑色駅と六郷土手駅の中間あたりの東六郷に鎮座。
第一京阪の東側、多摩川の河口部近くに境内がある。

第一京阪に面して鳥居が建っており、
鳥居をくぐって東へ進むと境内の側に出るが、表参道は南側。

鳥居の右脇に「六郷神社」と刻まれた社号標。
鳥居の前には、梶原景時が寄進したと伝えられる太鼓橋。
鳥居の後方に神門があり、神門をくぐると右手に手水舎。
手水舎の手水石は源頼朝の寄進らしいが、撮影しなかった。

参拝は東日本大震災2日前の正午頃。
当社には幼稚園が併設されており、
手水舎の周りには園児の迎えのためか多くの自転車が止められていた。

参道の左右には紅白の梅の花が咲いており、
参道正面には美しく立派な社殿。
この権現造の拝殿は、昭和六十二年(1987)、
御鎮座930年を記念して造営されたもので、
以前の写真を見ると流造のような形式で平入の拝殿だったようだ。
拝殿後方の本殿は三間社流造で享保四年(1719)のものらしい。

参拝当日、境内の右奥で何かの工事をしており、立入禁止になっていたが、
奥に塚のようなものがあり、その前を狛犬が護っていた。
由緒書きにある八幡塚(神輿塚)だろうか。

創祀年代は不詳。八幡塚村の八幡社と呼ばれ、
かつての八幡塚・高畑・古川・町屋・道塚・雑色六ヶ村(六郷)の総鎮守。

社伝によると、天喜五年(1057)、
源頼義・義家の父子が当地に軍勢をとどめ、
大杉に源氏の白旗をかかげ、石清水八幡に武運長久を祈って出立。
見事、前九年の役に勝利し、報賛のためにその分霊を祀ったのが当社の創祀。
ゆえに、この杉を「白旗の杉」と呼び、当社を御旗山と称して
近郷の崇敬を集めた古社。

また、一説には源頼朝が安房から大軍を率いて鎌倉へ入った頃、
当地にて白旗を立てて、軍勢の到着を記念した旧跡で、
戦勝の後に鎌倉鶴岡八幡宮を勧請した別宮とも、
あるいは、頼朝が石橋山で敗れて上総国へ渡る時、
当地で旗を掲げ、後に鶴岡八幡宮を勧請したとも伝えられている。

また、当社では式内社を主張していないようだが、
当社を式内社・薭田神社とする説もある。
もし、薭田神社であるなら、薭田神社の大杉に白旗が掲げられ、
その後、八幡宮が勧請されて、薭田神社の名が消えたことになる。
何もない場所の杉に戦勝を祈ったと考えるより、
何れかの古社があったと考える方が自然かもしれない。

文治五年(1189)、源頼朝の奥州征討のおりにも先祖の吉例にならって
当社に白旗をかかげて戦勝を祈り、奥州平定後に獅子頭や手水石を寄進し、
建久二年(1191)、梶原景時に命じて社殿を造営したという。

天正十九年(1691)十一月、徳川家康は十八石の朱印地を寄進し、
慶長五年(1600)、六郷大橋の竣功に際して、
当社の神輿をもって渡初式を挙げ、鷹狩りの途次にもしばしば参詣し、
葵紋の使用が許されたという。

江戸時代には六郷八幡宮とも呼ばれていたが、
明治五年(1872)、郷社に列し、明治九年六郷神社と改称した。

由緒書きに記されている通り、当社の神紋は三つ巴紋と葵紋。
三つ巴紋は八幡の代表紋であり、葵紋は徳川家の加護を示す。

境内左手に稲荷神社の小祠と、
三柱神社・天祖神社・氷川神社の三社を連ねた境内社がる。
境内社の横には「六郷橋」と書かれたものがあったが何だろう。
六郷大橋の古跡だろうか。

社殿の横には「御神木旗懸之杉旧趾」と刻まれた石柱。
当社創祀の発端となった源氏の白旗をかかげた杉があったのだろう。

境内の左手に神楽殿があり、神楽殿の前庭に古い狛犬が一対。
貞享二年(1685)の狛犬で、大田区内で最古のもの。


第一京阪側の鳥居

社頭(南側)

鳥居と社号標

境内から神門と手水舎

境内社殿

拝殿

本殿

社殿

六郷橋?

境内社

神楽殿

御神木旗懸之杉旧趾

神楽殿前庭の狛犬

神楽殿前庭の狛犬

境内右手奥。八幡塚か

 六郷神社由緒 
鎮座地東京都大田区東六郷三丁目十番十八号
祭 神誉田別尊応神天皇
本 殿享保四年(一七一九)建立の三間社流れ造り
拝殿・幣殿昭和六十二年(一九八七)鎮座九百三十年祭記念造営の総檜権現造り
境内末社天祖神社(天照大御神
氷川神社(素盞鳴尊
三柱神社(日本武尊大物主命布津主命 <合祠>天太玉命天児屋根命
稲荷社(宇迦御魂命
祭事暦
一月一日歳旦祭六月三十日大祓
一月七日流鏑馬祭九月二十二日天祖神社・氷川神社歳
一月十五日成人式十一月十五日七五三
二月三日節分祭十一月三二十四日新嘗祭
二月十八日祈年祭十二月三十日大祓
六月三日例大祭
 当社は、多摩川の清流に南面する古い八幡宮であり、六郷一円の総鎮守として、 ひろく崇敬されています。
 社記によれば、源 頼義・義家の父子が、天喜五年(一〇五七)この地の大杉に源 氏の白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大 いにふるい、前九年の役に勝利をおさめたので、その分霊を勧請したのが、当社の 創建とされています。
 文治五年(一一八九)源 頼朝もまた奥州征定のみぎり、祖先の吉例にならって戦 勝を祈り、建久二年(一一九一)梶原景時に命じて社殿を造営しました。今なお境内 に残る大きな手水石は、このとき頼朝が奉献したものであり、神門前の太鼓橋は景 時の寄進と伝えられます。
 天正十九年(一五九一)十一月、徳川家康は十八石の朱印地を寄進し、慶長五年(一 六〇〇)六郷大橋の竣功に際しては、神威をたたえて祝文をたてまつり、当社の神 輿をもって渡初式を挙げました。また、鷹狩りの途次にもしばしば参詣したと史書 にみえます。当社が巴紋とともに葵紋を用いている所以です。
 江戸時代には六郷八幡宮とも呼ばれていましたが、明治五年(一八七二)に東京府 郷社に列し、同九年より六郷神社と改称して今日に至っています。
 なお当社には、毎年一月七日に行われる流鏑馬(東京都無形民俗文化財)と、六月 の祭礼時に少年少女が奉仕する獅子舞が伝承されています。

−参道由緒書きより抜粋−



【 六郷神社 (大田区) 】

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