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楯縫神社
たてぬいじんじゃ
茨城県稲敷郡美浦村大字木原2988
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式内社 常陸國信太郡 楯縫神社 |
茨城県の美浦村にある。
美浦村役場の北1Km、土浦駅の南東10Kmほどの木原に鎮座。
125号線から一つ北へ入った道に境内入口がある。
参道入口には「楯縫神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐり、100m以上ありそうな参道を北東へ直進する。
木々の鬱蒼と茂る参道途中にも鳥居が立っており、
さらに進むと社殿のある境内。
参拝日は朝から小雨の降る天気で、
当社へ到着したころには、雨は止んでいたが、
木々が吸い込んだ水分を放出しはじめて
淡い霧の中のような、幽玄な参道に、深呼吸しながらの参拝。
木々のアーチの参道を抜けると、緑の境内。
社殿は、どっしりとした入母屋造の拝殿に、流造の本殿。
拝殿前には、御神木らしき巨木も。
茨城の古社には、
当社のように、鬱蒼と茂った木々の長い参道を持つ神社が多く、
雨後などの参拝が、心地よい。
社伝によると、
推古天皇十六年(608)の創祀。
御祭神・普都主命が兜楯を脱いでこの地に残された故事にちなんで
楯脱ぎ(楯縫)の社号となったという。
式内社・楯縫神社に比定されている古社。
鎮座の年代は、一説には神武天皇十八年とも、元明天皇和銅元年とも。
古来、信太郡一の宮として崇敬され、
境内北の方に、杉の巨木の根幹(径六メートル)があって
「木原」の地名の起りともなったという。
当社祭神・普都主命は、竹来の里より登天したと伝えられ、
普都主命の神輿を供奉し霞ヶ浦を渡御して、
竹来二の宮阿彌神社へ送る古式祭が行われていた。
明治六年、県社に列し、
明治四十一年、無格社厳島神社を合祀。
『茨城県神社誌』によると、境内社として、
御龍社(高龗命)、琴平神社(大物主命)があり、
御龍社には、八幡神社・愛宕神社・稲荷神社・
折居神社・厳島神社が合祀されていると記されている。
特に境内社には、気付かなかったが
参道の隅に、石祠が二つ祀られていたのが境内社か?
境内入口 |
参道鳥居 | 境内社の石祠 |
境内 |
境内 | 拝殿 |
拝殿 | 本殿 |
延喜式内社
勤請年歴 人皇参捨四代推古天皇の十六年宮造り六〇七 大同二年再建八〇七 文明八年再建一四七六 天正十七年藤原利勝 拝殿寄進一五八九 嘉永七年再建一八五四
−境内案内板より− |