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天志良波神社
あめのしらはじんじゃ
茨城県常陸太田市白羽町1670
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茨城県常陸太田市にある。
常陸太田駅の北6Kmほど。
349号線を北上し、37号線を東へ折れ、白羽町で南下する道路へ入る。
1Kmほど走ると、民家の間に社号標がある。
里川の東側、の山麓に鎮座。
参道を東へ進むと鳥居がある。さらに参道を歩くと、階段上に社殿が見える。
参道脇には竹林が広がり、
階段上の境内は、雨に濡れて鮮やかな緑の絨毯。
濡れていなければ、座り込んで見ていたい気分だった。
創立年代は不詳。
一説には、坂上田村麻呂が東征の折に祀ったという。
田村麻呂が当地へ宿した時に、夢の告げがあり、
白羽の矢を賜ったので、社を建立したもの。
祭神・天白羽命を、白羽の矢と結びつけた説話だと思われる。
天白羽神は、別名、長白羽神ともいい、
『古語拾遺』には、天照皇大神が岩戸へ隠れた時、麻で青和幣を作った神。
麻を植えて、織物を広めた神であり、麻績氏の祖神である。
白羽は、衣服の古語であるという。
本殿の屋根には葵の紋が付いていた。
常陸太田周辺では、水戸光圀崇敬の神社が多く、
葵の紋を付けた神社が目立つ。
入口の鳥居 | 参道 |
社殿 | 社殿 |
社殿横から |
本殿 | 境内社 |
天志良波神社由緒
御祭神は天照大神天岩戸にかくれましゝ時、天太玉命に属し、麻で青和幣を作り、父神
天日鷲命は白和幣を作られた。弟神健葉槌命と共に麻を植え織物をされた。白羽は衣服の
ことである。一説に延暦14年坂上田村麿将軍東征の時、創建すと云ふも詳かでない。
天志良波神、又長白羽神(古語拾遺)貞観8年5月27日正六位上天志良波神従五位下、同
16年12月29日従五位上の神階(三代実録)式内小社久慈郡七座の一、天文13年1
2月11日佐竹義篤社殿修営遷宮式あり。(棟札)元禄中水戸藩徳川光圀公の命で大聖院
の社務をやめ神職の奉仕とす。享保12年9月徳川実 公社殿の営修あり、神宝を献じ圭
田2石6斗3升7合を納る。天保15年斎昭の命により白羽、田渡、西宮、三才、小沢五
ヶ村の鎮守となる。明治4年4月1日郷社に列格、同6年4月村社となる。同44年6月12日(第300 号)供進指定。昭和27年6月16日宗教法人設立。 −『平成祭データ』− |
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