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三宮神社
さんのみやじんじゃ
群馬県北群馬郡吉岡町大久保1
伊香保風 吹く日吹かぬ日ありといへど 吾が戀のみし時無かりけり
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群馬県吉岡町にある。
境内地を、関越自動車道が通ったため。
関越自動車道の西そばに鎮座。
吉岡町役場の南東1Kmほどの位置。
道路そばに参道入口があり、木々の参道を北上して境内。
一段高い境内は、綺麗に整備され、赤い社殿が美しい。
天平勝宝2年(750)の勧請と伝えられ、
伊香保神社の里宮で、
上野国三宮と思われる神社。
一説には、伊香保神社の古社地であるという。
よって上野国神名帳群馬東郡の正五位上小伊賀保明神
(一宮本では伊賀保別大明神)は古伊賀保明神である当社のこととする説もある。
当社の南西4Kmには総社も存在し、国府に近く、
周囲に古墳群もある。
『神道集』には、
「女体ハ里へ下給テ三宮渋河保二御座ス、本地ハ十一面也」
とあり、
当社には、室町時代の作と伝えられる、
一木彫りの十一面観音が安置されている。
境内には神楽殿もあるが、
どの社殿も赤と黒で彩色されていて、落ち着いた色調。
境内も明るい雰囲気だった。
参道入口 | 境内 | 境内入口 |
社殿 | 神楽殿 |
本殿 | 社殿 |
社殿 |
万葉歌碑 | 境内の石祠 |
三宮神社由来記
吉岡村大字大久保字宮の地に鎮座する三宮神社は天平
勝宝二年創祀の伝承をもつ古名社で彦火々出見命豊玉姫命少彦名命の三柱の神を奉斉している当社を三宮と
称する所以は三柱の神を祭るためでなく上野国三之宮
であったことによる九条家本延喜式神名帳には上野国
三之宮は伊賀保大明神とあり当社はその里宮の中心で
あったと考えられる柳古代当地方の人々は榛名山を伊
賀保山と称しその山頂を祖霊降臨の聖地と崇め麓に遥
拝所をつくり里宮とした上野国神名帳には伊賀保神が
五社記載されてありその中心の宮を正一位三宮伊賀保
大明神と記している当地三宮神社が伊賀保神を祭る中
心地であったため三宮の呼称が伝えられたのである近
くに大古墳群の存在はそれを裏付ける当社を伊賀保神
とする由縁はその祭神にもよるが本殿に安置される
十一面観音像のあることがこれを証する南北朝時代の
延文年中編と推定される神道集所収の上野国三宮伊賀
保大明神の由来には伊賀保神は男体女体の二神あり男
体は伊賀保の湯を守護する薬師如来で女体は里に下り
十一面観音となるとある当社は古来十一面観音像を御
神体として奉安してきたのである慶應四年神仏分離令
が発せられると全国各地で神社内の仏教関係遺品が破
却された当地の先人は古来三宮神社の御神体として奉
安してきた十一面観音像を秘仏として密かに遺し今日
に伝えたのである昭和六十年秋の関越高速自動車道開
通に伴い当社境内地の一部も道路編入の止むなきにい
たりこの機会に氏子一同相計り社殿および境内の整備
につとめ由緒ある当社の由来を後世に伝えんとし石碑
に刻んだ次第である
−境内石碑より− 伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといへど
吾が戀のみし 時無かりけり 萬葉集巻第十四上野国歌 万葉集のこの歌がうたわれた時代 (一四〇〇年前)は、榛名の二ツ岳 の噴火がくり返されて、榛名山は恐 ろしい怒りの山で怒ツ穂(イカホ) と呼んで、神として恐れあがめ信仰 の対象としていました。この里宮と して三宮神社(イカホ神社)がおか れてました。この歌の伊香保風は榛 名山からふき下す空っ風です。 ここで行われた歌垣でうたわれた 歌として祖先への敬愛の念をこめて 石に刻みます。 −境内石碑より− |
【 三宮神社 (吉岡町) 】