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大麻止乃豆乃天神社
おおまとのつのあまつかみのやしろ
東京都稲城市大丸847
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式内社 武蔵國多磨郡 大麻止乃豆乃天神社 |
JR南武線南多摩駅の南、大丸にある。
多摩川の南岸、川崎街道の南になる。
円照寺と直心庵の間の幼稚園の横に階段があり、
鳥居をくぐって階段を登ると境内がある。
通称、天神山の中腹、鬱蒼とした林の中にあり、
都会にあるとは思えない雰囲気。
社殿後方は保存地区になっているようだ。
境内には、秋葉・稲荷・神明・白山・牛頭天王などの境内社。
拝殿後方の覆殿の中に本殿があり、凝った彫刻が施されている。
創祀年代は不詳。
式内社・大麻止乃豆乃天神社の論社。
もとは瓦谷戸の明神バケというところに鎮座していたという伝承がある。
「バケ」とは「嶽」の意味らしく、
動物の焼き場があった所とも言われているが確証は無いらしい。
「嶽」は沖縄の御嶽(ウタキ)のようなもの、
つまり、祈りの場、聖地だったのかもしれない。
大丸にあるためか、丸宮明神、丸山明神と呼ばれていたようだ。
延喜式大和國十市郡の天香山坐櫛眞命神社(天香山神社・國常立神社)の項に
元名大麻等乃知神とあることから、当社も同じ祭神であるとされている。
「大麻止」(オオマト)が「大圓」「大丸」(オオマドカ)と変化し、
地名になった。
あるいは、多摩川の「大真門の津」とも云う。
南多摩駅から円照寺の墓地を横目に見ながら歩いていると、
少し奥まったところにある鳥居を見逃してしまう。
境内は、林の中。後方の山も良い雰囲気だった。
子供だったら駆け登っているところだが。
参道 | 鳥居 | 境内参道 |
社殿 |
社殿 | 社殿横から |
覆殿内の本殿 |
稲荷社 | 秋葉社か? | 牛頭天王社 |
白山社・神明社・稲荷社合殿 |
背後の丘にも境内社 |
九條家本に、「大麻止乃(マトノ)豆乃天神社」、兼永本
に、「大麻止乃豆乃(ヲホマトノツノ)天神社」、兼右本に、「大麻止乃(オホマトノ)豆乃
天神社」とある。『新編武蔵風土記稿』の丸宮社の條に、
「丸山明神と號す。」とあり、「或は云、丸をまどかと訓す、
下略するときはまとなり、これ〔神名帳〕に載る八座の
内、大麻止乃豆天神を略して麻止乃宮と稱するなるべし。」
と添へてゐる。すなはち、江戸後期、當社は丸宮明神と稱
されてゐた。『調布日記』にも、「丸宮大明神といへる額あ
り、」と記してゐる。鎮座地の大字を大丸(オホマル)と稱し、小字を
大圓山と稱してゐるなどは、神名の丸宮と開係がありさう
だが、詳しくを知らない。前記の『調布日記』は、「神の名を
僧にとへば、大丸村あるがゆへに丸宮なるべしといふもお
かし、」と續けてゐる。『神社覈録』に、「大は於保と訓べ
し、麻止乃豆乃は假字也、」とあり、「連胤按るに、大和
國十市郡天香山坐櫛眞命神社、元和大麻止乃知神とある同
名なれば、」と追記してゐるのは、『惣國風土記』に、當社を
「大麻止乃智天神」とあるのに示唆されたものと思ふ。『明
治神社誌料』は、「大麻止乃豆乃天神(オホマトノツノアマツカミノ)社」と傍訓を付して
ゐる。現在、里人は「明神様」と尊稱してゐる。
−『式内社調査報告』− |
【 大麻止乃豆乃天神社 】