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榆山神社
にれやまじんじゃ
埼玉県深谷市原郷336
いち人や 神の姿ににれ山の 入らずの森は奥処知らずも
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式内社 武蔵國播羅郡 榆山神社 |
埼玉県深谷市にある。
深谷駅の北東2Kmほどの位置。
三叉路の南の杜に鎮座している
境内は東向き。東の入口の鳥居横に大楡の御神木がある。
往時は辺り一帯に楡の木が繁茂していたということで、
社名の由来となっている。
当社の社号表記は「楡山神社」も便宜的に使うらしいが、正式には「榆山神社」。
ということで当サイトの表記も正式なものに修正。
孝昭天皇の御代の創立と伝え、祭神は伊邪那美命。
俗に、熊野三所大権現。権現さまと呼ばれている神社で、
神紋も八咫烏だ。
これは、一時期衰退していたおり、天台宗瑠璃光寺の管轄下におかれ、
熊野山正徳院能詮寺が建立され、社僧が修めていたため。
旛羅郡の総鎮守で、旛羅の郷は、旛羅太郎道宗の再興の地。
現在の原郷の地名となった。
当社の神事で、節分の豆撒きと三月三日の鎮火祭は、
著名で遠近からの参詣が多いという。
本社後方に塚があり、これを犯すものに災害があるといわれ、「不入の地」というらしい。
いち人や、神の姿ににれ山の、入らずの森は奥処知らずも
この神紋の八咫烏は、八咫鏡の中にあり、なかなか描くのが面倒なのだよ。
入口の鳥居の脇に大楡の神木がある。
鳥居から西へ向かって参道が続く。
境内は広くて静か。西側の垣の中に社殿がある。
追記
前回の参拝は2002年。
13年後の今年(2015年)4月に再度参拝して来た。
社頭に聳えた大楡の御神木は下部を残して切り取られたようで、
その切株の中央に新しい若木が生え青々と茂っていた。
社殿前の八重桜は、盛りを過ぎていたようで一面に散ってピンクの絨毯のようだった。
もう少し早く、盛りの頃に来たかった。
社頭(2015年) |
入口の鳥居 | 鳥居扁額 | 参道 |
境内 |
社殿前の鳥居 | 神楽殿 |
社殿前の鳥居脇に八重桜(2015年) |
桜散る境内(2015年) |
本殿は春日造。壁面には彩色された彫刻が施されている。
本殿の周囲には、幾つかの境内社が鎮座。
右後方から、天満神社・大物主神社・手長神社・大雷神社・八坂神社、
左側に、伊奈利神社・知々夫神社・招魂社・天照皇大神。
社殿の右側や後方は、木々の茂った林。
林の中の道には、「楡山」と刻印された旧拝殿の鬼瓦と荒神社がある。
荒神社は、他の境内社とは違って社殿が立派だ。
追記
2002年に参拝した時は伊奈利神社は社殿の左手にあったと記憶しているが、
今回(2015年)は境内の北側、275号線に面した位置にあった。
社殿 | 昔の鬼瓦 |
社殿横から |
本殿の彫刻 | 本殿 |
天萬天神社 | 手長神社 | 大雷神社 |
八坂神社 | 伊奈利神社 | 知々夫神社 |
招魂社 | 天照皇大神 | 荒神社 |
社殿の後方に大物主神社、不入の地? | 境内入口にある大楡の木 |
大楡の木(2015年) |
【御祭神】 伊邪那美命。一柱。夫の神の伊邪那岐命と共に、国土や山川草木の神々をお生みになった神。「国生み」の神。末子に火産霊神(火の神、愛宕様)をお生みになって後、鎮火の法を教え悟した神。 【鎮座地】 埼玉県深谷市大字原郷三三六番地。 旧埼玉県大里郡幡羅村大字原郷。 旧武蔵国旛羅郡旛羅郷原ノ郷村。 古くは旛羅ノ郷(はらのごおり)といっていたのを、近世に漢字を改めて原郷としたという。 【御社名の由来と御神木・御神紋】 御社名の由来は、御神域一帯に楡の木が多かったことによる。正面大鳥居の脇の楡の古木一本は、代々御神木と崇められ、樹齢七百年とも一千年ともいい、現在は埼玉県の文化財(天然記念物)に指定されている。 当社の御神紋の「八咫烏」は、初代神武天皇の東征の際、南紀の熊野から、翼の大きさ八尺余りの八咫烏の道案内で、大和に入ったという故事から、当社が熊野権現といわれた時代に定まったものともいわれる。 【御創立と沿革】 五代孝昭天皇の御代の御鎮座という言い伝えがあった。 延喜年間(平安時代)、醍醐天皇の御代に朝廷の故実やしきたりをまとめた書「延喜式」の「神名帳」の巻に、「武蔵国旛羅郡四座」のうちの一社「楡山神社」とある。すなわち朝廷より幣帛を賜った古社であり、「延喜式内社」といわれる。 旧原ノ郷村は、旛羅太郎道宗の再興になる地域である。旛羅郡の総鎮守、旛羅郡總社といわれ、御社名を旛羅大神ともいった。 康平年間(一〇五八〜一〇六五)、源義家の奥州征伐の時、成田大夫助高は、当社に立ち寄って戦勝を祈願したという。代々成田家の崇敬篤く、現在の社務所の屋根瓦には○に一の成田家家紋も残っている。 徳川時代には、旧社家の没落と共に別当天台宗東学院の管理する所となり、熊野三社大権現と称したこともあった。当時より節分の日の年越祭は盛大であり、「権現様の豆蒔」などともいわれた。幕末の元治元年に「旛羅郡總社」と書した幟旗が今に伝わる。 明治に入り、御社名を楡山神社にもどす。明治五年、旧入間県八大区の郷社に制定される。 大正二年、中絶していた年越祭を再興。以来戦中戦後の一時期の中断はあったが、毎年当日は巨万の賽客で賑わい、追儺の神事や「おだまき」という地域伝来の花火(現在は普通の花火)などの行事が夜遅くまで続く。大正一二年県社に昇格。 【御社殿等】 ○御本殿。春日造、欅桧楡材、造営年不祥。明治以前は屋根は桧皮葺で千木と鰹木があり、柱などに葵の紋金具があったという。 ○御拝殿。明治四十三年御再建。 ○神楽殿。昭和十年参宮記念造営。 ○社務所。明治十年修造。元別当東学院御堂を改修したもの。 【深谷市指定文化財】 ○鳥居扁額。楡材。佐々木文山筆、熊野三社大権現と記す。 ○石笛(いわぶえ)。海産天然石、長さ一尺一寸。 ○和琴(わごん)。 【末社】(大正元年八月合祀) ◆知々夫神社(八意思兼神・知々夫彦命) ◆伊奈利神社(豊受毘売命、大地主命・埴山毘咩命)地神社を合祀。 ◆八阪神社(須佐之男命) ◆大雷神社(大雷神、伊邪那岐命・伊邪那美命)三峯神社を合祀。 ◆手長神社(天手長男命) ◆大物主神社(三輪大物主命、少彦名命)金刀比羅神社、怡母神社を合祀。 ◆天満天神社(菅原道真公、市杵島毘売命、岩長比売命、木花佐久夜毘咩命)市杵島神社、富士浅間神社、小御嶽神社を合祀。 ◆荒神社(火産霊命・奥津比古命・奥津比売命、御穂須々美命、天津児屋根命・斎主命・武甕槌・比売命)諏訪神社、春日神社を合祀。 −『平成祭データ』− |