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師岡熊野神社
もろおかくまのじんじゃ
神奈川県横浜市港北区師岡町1137
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旧郷社 |
神奈川県横浜市にある。
東急東横線・大倉山駅から東へ800mほどの師岡町に鎮座。
大倉山駅から東へ進み、新幹線の高架を越えて綱島街道へ。
綱島街道を200mほど北上すると右手に当社の社号標があったと思うが、
写真を撮っていないので自信がない。
とにかく、右手へ入って行くと、当社の社前に到着する。
社前(南側)には「いの池」と呼ばれる池があり、
中央部に水神社が祀られている。
この池は「い・の・ちの池」と呼ばれた三つの池の一つ。
「のの池」は当社社殿の後方にあり、神事などに用いられる。
「ちの池」は西500mほどの場所にあった溜池だが、
現在は埋め立てられて公園になっているらしい。
境内は南向き。鳥居の脇の社号標には
「聖武帝神亀元年創立 関東随一大霊験所 熊野神社」。
鳥居扁額には「関東随一大霊験所熊埜宮」とある。
階段を上ると社殿のある境内。
中央に入母屋造の美しい社殿。後方の本殿は覆屋根の下にある流造。
拝殿の扁額はよく読めなかったが、
「関東随一大霊験所熊埜三社大権現」と書かれているのだろうか。
社殿後方に、小さな「のの池」があり、
背後の丘には散策道「みくまの通り」がある。
資料には当社の社号は「熊野神社」とのみ記されているが
師岡町鎮座のため、師岡熊野神社を用いているようだ。
神社公式ページにも師岡熊野神社と表記されている。
通称は、おくまんさまと呼ばれているらしい。
社伝によると、第四十五代聖武天皇神亀元年(724)、
全寿仙人によって和歌山県熊野三社を勧請創祀された古社。
社前の由緒書きによると、
全寿仙人が当地で不思議な霊威を感じ、御神木梛の大木のうろで法華経を読み続けると
ある晩、夢枕に熊野大神が立たれ、そのお告げに従って大和国春日明神に参籠。
神霊を感得してこの地に帰り、熊野大神を祀ったとある。
なぜ、熊野大神を祀るのに、春日明神に籠ったのか不思議だが、
当時、熊野と春日に何らかの関係があったのか、
あるいは、当地が春日神領で、その許可が必要だったのか、
調べてみると面白いかもしれないが、調べていない。
仁和元年(885)七月、光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が当地に下向し、
「関東随一大霊験所熊野宮」の勅額を賜わり、
以後、宇多、醍醐、朱雀、村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられたという大社。
明治三年県社に列格したが氏子の陳情によって、
明治六年三十三ヶ村の郷社に列したという。
氏子にとっては、県社になると、いろいろと大変なのかもしれない。
参道階段の幟旗や手水鉢などに三肢烏紋が付けられている。
「いの池」に水神社(弁天様:彌都波能賣神、市杵嶋姫神)、
「のの池」の脇に神明社(天照皇大神)が祀られている。
また、参道階段脇には、稲荷社(倉稻魂命)と地神塔。
参拝時に確認していないが、『平成祭データ』には当社末社として、
天満社(菅原道眞)、白山社(伊邪那美命)、
日枝社(大己貴尊、少彦名尊)、石神社(石神)の名が載っている。
社前の「いの池」と水神社 |
社頭 |
鳥居 | 鳥居脇の社号標 |
参道階段 | 参道脇に稲荷社 |
境内社殿 |
本殿 | 拝殿 |
手水鉢に烏紋 | 拝殿扁額 |
社殿背後の「のの池」 |
神明社 | 「のの池」 |
関東随一大霊験所
師岡熊野神社略記
−社頭案内板− |