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賀蘇山神社
かそやまじんじゃ
栃木県鹿沼市入粟野713
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栃木県鹿沼市にある。
東武日光線・樅山駅の西21Kmほどの入粟野に鎮座。
15号線を西へ進み、口粟野で246号線に入って北西へ。
石裂山(尾鑿山)を目指して進むと、当社の鳥居が見えてくるので
さらに進むと境内入口。
小さな石橋があり、階段を登ると神門。
神門の右手に鳥居があり、奥へ行くと山頂奥社の遥拝殿がある。
神門をくぐると、神楽殿のある境内。
横長の社殿があり、中央に賽銭箱がある建物で
参拝当初は、それが里社の拝殿だと思ってが、
『栃木県神社誌』を見ると、どうやらそれは社務所のようだ。
その社務所の右手奥へ進むと、
先ほどの鳥居の先の参道に合流し、奥に立派な遥拝殿がある。
尾鑿山とも呼ばれる石裂山(879m)の山頂直下に岩屋があり
そこに祀られている奥社を遥拝する社殿。
奥社までの山道はクサリ場などがある険しい道で
健脚な大人の足でも90分かかるらしい。
他にも回りたい神社があったので登っていないのが残念。
当社の社号「賀蘇山神社」は、
『栃木県神社誌』には「かそやまじんじゃ」、
『平成祭データ』には「がそやまじんじゃ」と記されている。
遥拝殿の屋根には巴紋が付けられているが
『栃木県神社誌』には特に神紋が記されていない。
遥拝殿の柱にも巴紋が刻まれていたが、もう一つ複雑な文様も刻まれていた。
複雑な図案で、何をモチーフにしたものか判らなかったので
神紋としては掲載できていない。
道路脇の鳥居 | 境内入口 |
神門 | 遥拝殿への鳥居 |
拝殿だと勘違いした社務所 |
拝殿でもある | 神楽殿 |
奥社遥拝殿 |
奥社遥拝殿 | 柱に刻まれた紋 |
賀蘇山神社遥拝殿
この奥、険しい山道を登ること三Km、尾鑿山直下に
岩屋があり、そこに祀られている御本社を拝むための
建物が、この賀蘇山神社遥拝殿である。大人の健脚で
も九十分を要し、また女性の入山が禁止されていた時
代もあり、ここからはるか山頂を拝んだものである。この遥拝殿は三間(約五・四メートル)四方の宝形造りで、 正面に向拝一間を設けている。別名を下の宮ともいう。 総欅造りで精巧荘厳な彫刻が四囲に配される。 元禄十四年(一七〇一)に完成したこの遥拝殿は、 実に六十年の工期を要したといわれる。 寛永十一年(一六三四)、日光東照宮を修築した日 本屈指の棟梁、彫工たちによって寛永一八年頃から着 手、中には父子二代にわたり造営に当たった者もいた といわれ、その苦心のあとがうかがわれる。 彫刻のうち最多のものは龍で四十頭を数え、東西と 北面を埋めている。 四隅を守る獣は獅子と象であり、正面欄間にはかわ いらしいリスとぶどうの透かし彫りが見られる。 平成十年度に、栃木県と粟野町の地域文化遺産保護 事業により屋根のふき替えを行った。 昭和四十五年五月一日指定 粟野町有形文化財 −境内案内板− |
社務所から左手に行くと月山神社があり、その奥に当社の社殿があり、
先ほどの境内入口から、道路沿いに少し歩くと鳥居が立っている。
鳥居をくぐり、参道階段を登ると社殿。
拝殿の左手に、大きな杉の切株があり、大杉神社が祀られている。
樹齢1800年という日本一古い杉で神代杉と呼ばれていたが
大正時代に火災により類焼し伐採されてしまったらしい。
当社の創祀年代は不詳だが、
三代実録の元慶二年(878)九月十六日に
「下野国賀蘇山神、従五位下」と記されている古社。
慶長二年(1507)六月、領主結城中納言によって社殿が再建されたという。
寛永十一年、宝暦二年、文政七年の火災により旧記を焼失し
昔の記録は残っていないらしい。
当社は石裂山の南麓にあるが、西麓の上久我に加蘇山神社があり、
両社ともに、賀蘇山神であるらしい。
石裂山を中心とした信仰世界が形成されていたのだろう。
『賀蘇落穂』によると
石裂山山頂近くの剣ノ峰に、賀の岩と蘇の岩があるらしい。
賀の岩は五穀豊穣の岩、蘓の岩は医薬長寿の岩として祀られ
両岩から、賀蘇山の神という名になり、
このあたりを分岐点とする都賀郡、安蘓郡の名も神名に由来する。
社殿を社務所の間に、月読命を祀る月山神社がある。
石裂山の峯の近くに月山という山があるが、その山の神だろうか。
本殿の左右には、稲荷神社と山神社の小祠が祀られ、
当社鳥居と社務所入口までの道路脇には、厳島神社と都波岐神社がある。
鳥居 | 社殿 |
本殿 | 拝殿 |
御神木の大杉(神代杉、大杉神社) |
稲荷神社 | 山神社 |
本殿 | 月山神社 |
道路脇に厳島神社と都波岐神社 |
粟野町名勝
賀蘇山神社(入粟野)
日本三代実録(六国史)元慶2年9月16日賀蘇
山神は従五位下の高い神階を朝廷より受けられ
下野国の古社として有名です。拝殿裏に尾鑿山
(879m)が望まれ、そこに御本社が鎮座してい
ます。総けやき造りの遥拝殿は町指定文化財で
精巧荘厳な彫刻美を誇っています。
−社頭案内板− 賀蘇山神社は、古くより尾鑿山と呼び親しまれてきた、国史現在 社です。日本三代実録(六国史)に、陽成天皇元慶2年(878年)9月 16日、賀蘇山神は、朝廷より従五位下の神階を授けられました。 当社の大杉は、幹の周囲(目の高さに当たる部分)が、14.8m、 樹高は、70mにも及び、御神木として仰がれてきました。一の枝の 直径が一mほどの巨木の樹齢は、1800年あまりといわれ、日本一 と判定されました。(東京帝大林学博士・本多静六氏の調査) 明治44年7月20日に落雷を受けた際には、古木ゆえの空洞の幹 が、大煙突のようになり、すさまじい猛火に、三日三晩の消火を要し ました。大正6年2月には、人家火災の類焼を受け、日本一を誇った 大杉も、同年9月、地上2.5mを残し伐採されました。 平成12年度、栃木県および粟野町の地域文化遺産保護事業によ り、保全工事を行いました。 −境内案内板− |