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大井神社
おおいじんじゃ
茨城県笠間市大渕1652
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式内社 常陸國那賀郡 大井神社 |
茨城県笠間市にある。
笠間駅の北東4Kmほどの大渕に鎮座。
50号線から61号線を北に入り、
1Kmほど進んで涸沼川を越えて北へ進むと
田畑の向こうに社域の森が見えてくる。
後日、地図で確認すると境内への参道が幾つかあるようだが
僕は南東側の入口から参道を歩いて参拝。
入口には鳥居は建っていなかったが、他の入口にあるのだろうか。
数段の階段を上り、樹木の茂った参道を2〜300m進むと社殿のある境内。
参道の途中には、御神木の「親子杉」が立っている。
境内に入ると、右手に宣命殿。
社頭の案内板によると、官幣使(宣命使)が派遣されていたらしく
官幣使のための設備なのだろうか。
境内の奥には、赤い屋根の社殿。
拝殿の後方、垣に囲まれて流造の本殿がある。
同じく案内板によると、
本殿は明和六年(1769)三月の造営。
参拝は秋の休日。いわゆる行楽日和で、
天気が非常に良く、境内の日差しも強かった。
社伝によると、大同元年の創祀。
太郎明神とも称される神社。
祭神は神武天皇の皇子・神八井耳命。
神武天皇崩御後、手研耳命が
異母弟である神八井耳命、彦八井耳命を殺害しようとした時、
逆に、兄弟神が手研耳命を討った。
その際、兄・神八井耳命は手足が震えて殺すことができず
弟・彦八井耳命がとどめをさした。
この失態を恥じた兄・神八井耳命は弟に皇位を譲り
神官となって仕えたという。
社伝によると、東国統治のため当地に来た神八井耳命は
日立那留大井濃水乃清氣禮婆世乎大平仁渡留浮橋と
和礼山に宮を定めたという。
中世、大井の地を割いて金井、大淵の二村を置き
福田、飯田、石寺、寺崎、日沢五村を合わせた地域の総鎮守であった。
また、当社(大井)、箱田、石井、来栖の四社を山内四所宮といい
その一宮であったという。
式内社・大井神社の論社であるが、これを否定する説もあり、
『新編常陸國誌』には
「式社巡拝ヲスル者、茨城郡大淵村神社ヲ大井社ト唱フレド、
其額ニ太郎宮トアリ、舊記社傳モナク、往古ヨリノ井ト云モナケレバ、
大井社ノ據ハ、更ニアル事ナシ、故今トラズ」とある。
境内の左手に境内社が2社。
一つの覆屋の中に納まっており、
左から、八龍神社と三峯神社。
社頭 |
参道入口 | 参道 |
御神木・親子杉 |
参道 | 参道 |
境内 |
境内 | 拝殿 |
本殿 | 社殿 |
境内社 | 宣命殿 |
−社頭案内板より− |