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秋葉神社
あきばじんじゃ
東京都台東区松が谷3−10−7
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東京都台東区にある。
地下鉄日比谷線の入谷駅から言問通りを東へ100mほど進み、
仲入谷交差点から200mほど南下すると、入谷南公園の南に境内がある。
境内入口は東側と西側にあり、東参道には神明鳥居、西には明神鳥居。
鳥居をくぐり参道を進むと、境内中央に南向きの朱の社殿がある。
拝殿は入母屋造。本殿はコンクリートの流造らしいが、よく見えなかった。
参拝は夕方。日は沈み、暗くなり始めた頃。
境内は砂利が敷き詰められ、清浄な雰囲気。
境内にいると、都会の喧騒が聞こえなくなるのが不思議だ。
当社は、もとは江戸城内紅葉山に祀られていた鎮火の神。
明治初年に東京府内に火災が頻発し、
市民の難渋を憂えた英照皇太后(明治天皇御母) の思召を以て、
明治天皇より太政官に御下命になり、
東京府一円の火災鎮護の神として、
明治二年十二月の東京大火災の後、
神田相生町など十七カ町の火除地として
その地の中央、今の秋葉原に奉遷された。
明治二十一年、鉄道駅設置のため、
境内地は大日本鉄道(現JR)に払い下げられ、現在地に遷座。
秋葉神社の鎮座地であったため、秋葉原駅という名になったが、
読みは「アキバハラ」ではなく「アキハバラ」となった。
なお、『明治神社誌料』には、
当社は「鎮火(ヒシヅメノ)神社」と記されている。
社殿の提灯や賽銭箱に、剣花菱紋が付けられていた。
授与所は閉まっていたが、
社務所の呼び鈴を押して御朱印をいただいた。
西参道 | 東参道 |
境内 |
手水舎 | 社殿 |
社殿 |
神輿庫 | 神紋 |
−社頭案内板− 秋葉神社御縁起 御祭神 火産霊神・埴山比売神・水波能売神 御由緒 当秋葉神社はもと千代田城内に鎮火の守護神として奉斎せられてありました。 明治初年、東京府内に火災頻発し之が為に市民の難渋せる状を英照皇太后(明治天皇御母)には御憂慮の余り明治天皇に御心の程を御漏し遊ばされましたので天皇より当時の太政官に御下命になり東京一円の火災鎮護の神社として現今の秋葉原の地に御鎮座せられる事になりました。かくして明治二年に東京大火災の後、神田相生町外十七箇町を火除地として取払ひ其の地内中央に社殿を建立し神祗官に於て御神璽を御調進申上げ宮城内紅葉山より鎮火三神を奉遷御鎮座せられたのが当社建立の初めであります。明治六年一月には神田神社兼勤社に定められ同年八月には東京府郷社に列格せられ爾来東京一円の火災鎮護の祈願所として広く市民の崇敬を受けて参りました。然るに明治二十一年七月に至り鉄道駅設置の為大日本鉄道に境内地を払下げ現在の地台東区入谷町に御遷宮になりました。秋葉原と言う駅名の起りも実に当秋葉神社の御社名に其の因を発するものであります。 特殊神事火渡式に就て 当秋葉神社では御祭神の関係上、火鎮めの実態を皆様方に知って頂く為に毎年十一月六日鎮火祭の斎場で火渡式の神事を行ひます。何卒一人でも多く御参拝の上自ら火の上を渡り、そして病難、火難、外諸々の災厄から逃れ得る御神徳に浴して下さい。抑く火は熱く、水は冷たいのが原則です。それはその物の性質であり、その精神であります。然し乍ら信じて行ふ所に鬼神の妨げなく又至誠以て神に念ずれば火も又焼く能はずの実証であり有神の確証でもあります。 この鎮火神事は水、火それぞれの精神即ち性質を転換せしむるの秘宝であります。論より証拠一度ぜひ御参拝の上自分からこの火を渡り、災厄を振り捨て幸福な生活をお求め下さい。 −『平成祭データ』− |
【 秋葉神社 (台東区) 】