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小御門神社
こみかどじんじゃ
千葉県成田市名古屋898
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旧別格官幣社 |
千葉県成田市(旧下総町)にある。
滑川駅駅の南2Kmほどの名古屋に鎮座。
滑川駅前に当社の大鳥居があるらしいが、
僕は成田方向から車で参拝したので見ていない。
小御門郵便局の近く、道路がカーブしている場所に
境内入口の鳥居が立ち、右手に「別格官幣社 小御門神社」の社号標。
鳥居の前が、10台程度の駐車スペースになっている。
鳥居をくぐり境内に入ると、清らかな森というイメージ。
天気の良い日は、射し込む陽射しが美しい。
参道を歩き、左手に曲がると、
垣に囲まれて、社殿が立っている。
入母屋造の拝殿の後方、中門の中に本殿。
社殿を囲う垣の後方、丁度、本殿の真後ろに
大きな塚がある。
当社祭神の墓所である「公家塚」だ。
祭神・藤原師賢公は、内大臣藤原師信の御子。
花山院と号した後醍醐天皇の側近。
元弘元年(1331)尹大納言に任ぜられ、
天皇の身代わりとして、御衣を賜り叡山に登って
賊軍討伐の錦旗を立てたが、討伐に失敗。
捕らえられて、下総へ配流され、当地で32歳の生涯を終えた。
建武元年、後醍醐天皇は、公の功績を称し
文貞公の諡を賜った。
建武の中興は、武家中心の社会を、
古代の律令国家へ戻し、天皇中心の社会へ復帰させることが目的。
徳川幕府の武家社会から維新によって、明治政府を樹立した
明治天皇にとっても、この建武の中興は意味深い時代であり、
建武中興に尽力した祭神・藤原師賢公を、その功によって
最期の地、下総へ祀ったのは、明治15年。
ちなみに、建武の中興に関係した、南朝側の皇族・武将は
明治になって、各地に官幣社として祀られている。
『建武中興十五社』を参照。
当社の神紋は、「双葉菊花」だが、
丹羽基二の『神紋』には「桜花」も神紋として使用されているとある。
鳥居 | 参道 |
境内 |
境内 | 社殿 |
拝殿 |
社殿 | 本殿 |
本殿後方にある藤原師賢公の墓所・公家塚 |
小御門神社御由緒
御祭神藤原師賢公は建武中興の大業を賛けられた柱石である。その忠誠は下総国名古屋の里に埋もれる事久しく、漸く亨保・弘化の頃、磯部昌言、清宮秀堅等によりその足跡が明らかにされ、明治の御聖代を迎えて、御神威は輝くばかり発揚され、社号を小御門神社と定められ、明治十五年四月二十九日、千葉県令船越衛を勅使として御下賜の剱璽を奉じ、御鎮座祭を行い、同年六月十四日、別格官幣社に列せられた。−『平成祭データ』− |