[HOME] > [神社記憶] > [関東地方] > |
|
阿彌神社
あみじんじゃ
茨城県稲敷郡阿見町阿見2353
|
||
茨城県の阿見町にある。
土浦駅の南5Kmほどの阿見に鎮座。
125号線バイパスと231号線の交わるあたりに境内がある。
社殿そのものは231号線のすぐ近くにあるのだが、
参道入口は、125号線の中郷交差点付近。
境内は、南北に200mほどの長さがあるが、ほとんどが参道。
参道入口に社号標が建ち、参道には綺麗な刈込が続いており、
氏子の方々の配慮がうかがえる。そんな境内。
参拝は、10月の休日。雨後の朝。
参道にはまだ雨水が残っており、
周囲は交通量の多いバイパス道路なのだが、
参道には樹木の匂いが満ちていた。
参道の中程に鳥居が建っており、
さらに参道を歩くと、社殿のある境内。
境内左手に、神庫らしき社殿。
正面に黒塗りの拝殿があり、拝殿の右手に稲荷社。
拝殿の後方に流造の本殿が鎮座。
本殿の左手には、小さな石祠が並んでいる。
『式内社調査報告』によると、
第四十一代持統天皇の五年夏、
霞ヶ浦沖に、夜々光が出現し、
漁師が沖に出て網を下ろすと、
大風が吹き、雨が降り、波の上に一人の異人が現れた。
「この海原に大毒魚がいて、悪光をなす。」
「吾は海の神少童の神である。」
「彼の悪魚を退治しないと国家の愁となす」といい、
光とともに波底に沈まれた。
漁師は、この海神の神徳を尊み、
村内の浄地に社殿を建て、海神社と称し、祀った。
この海(ウミ)が網となり、
第四十六代孝謙天皇勝宝二年(750)、
神託によって豊城入彦命を合祀したという。
『茨城県神社誌』によると、
和銅元年、豊城入彦命を祀り、阿彌神社と称したとある古社で、
1.5Kmほど東にある竹来の同名社とともに、
式内社・阿彌神社の論社となっている。
明治六年八月、郷社に列し、
明治三十九年十二月二十七日、
村内の熊野神社、香取神社、天照大神宮、皇産霊神社を合祀。
明治四十一年四月九日、
東村大岩田の鹿島神社、烏山の愛宕神社、八坂神社、八幡神社、
阿見の熊野神社、鹿島神社、稲荷神社を合祀。
明治四十一年五月八日、十握神社など数社を合祀した。
『全国神社名鑑』に、神紋は巴と記されており、
拝殿前の賽銭箱に、巴紋が付けられていた。
境内や参道には幾つかの石祠が祀られている。
ほとんど確認できなかったが、以下の名前は読めた。
金毘羅大権現、聖徳太子、愛宕神社、香取大神宮。
参道入口 | 参道 |
参道 |
参道鳥居 | 金毘羅大権現 |
境内 |
本殿 | 拝殿 |
境内左の社殿 | 稲荷社 |
石祠群 | 石祠群 |
−社頭案内板より− |