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三峯神社
みつみねじんじゃ
埼玉県秩父市三峰298−1  Zenrin Data Com Maps display !!


菖蒲菱

朱印のページへ!!

旧県社

御祭神
伊弉諾尊 伊弉册尊
配祀
天之御中主神 天照皇大御神
高皇産靈神 神皇産靈神 景行天皇 文武天皇 聖武天皇

三峯神社公式サイトを開く

埼玉県秩父市にある。
鎮座地の三峰とは、白石、雲取、妙法の三山のこと。
当社は、妙法ケ岳の西川山腹にある。

西武秩父駅から35Km、秩父鉄道・三峰口駅から22Km、
荒川沿いを走る140号線を西へ進む。
大輪から三峰ロープウェイで境内まで登れるが、
参拝した日は、ロープウェイは運休中だった。

140号線を秩父湖方面へ進むと小さなトンネル。
トンネル内で分岐しているので、左折して二瀬ダム方向へ。
このあたりから当社への案内があるので、
案内を信じて進む。
ダムを越え、三峰観光道路を登っていくと
当社駐車場に到着する。

以前、参拝した時は、社殿の塗替え中だったので、
撮影は程々にして、当社奥宮へ参拝し、
その後、御朱印をいただいて帰ったので、
今回は、社殿の撮影をメインに参拝。
ということで、今回は奥宮の参拝はしていない。
駐車場から、境内へ向う途中に、その奥宮への参道がある。

当社参道を進むと、参道入口に白い三輪鳥居が建ち、
鳥居の前には、狼の狛犬。
鳥居をくぐり、参道を進むと、参道は二手に分かれている。
真っ直ぐ進むと社殿の横に出るが、左手へ進むと
「三峰山」と書かれた額のある神門。
神門の方が本来の参道のようなので、そちらへ進む。
神門をくぐり、少し進むと、階段がある。

階段を登ると、左手に美しい手水舎。
右手に朱の灯籠が立っている。
さらに階段を登ると美しい拝殿がある。
拝殿の後方には、春日造の本殿。

以前参拝したのは、八月の休日だったが、
今回は十一月の休日。
紅葉が始まったばかりなのか、終わり始めているのか分からないが、
期待していたような鮮やかな紅葉ではなかった。残念。

社伝によると、景行天皇四十一年(111)の創祀。
景行天皇の皇子・日本武尊東征のおり、
甲斐国から上野国を経て、碓氷峠に向われる途中、
当山に登り、伊弉諾尊伊弉册尊を祀ったという。

その後、景行天皇は日本武尊が巡られた東国を巡幸された時、
上総国で、当山が三山高く美しく連らなることをお聴きなり
「三峯山」と名付けられ、当社に「三峯宮」の称号を賜った。

聖武天皇の時、国中に悪病が流行しました。
天皇は諸国の神社に病気平癒を祈られ、
当社に勅使として葛城連好久公が遣わされ
「大明神」の神号を奉られた。

文武天皇の時、修験の祖役の小角が伊豆から
三峯山に往来して修行したと伝えられている。
この頃から当山に修験道が始まり、
天平十七年(745)には、国司の奏上により
月桂僧都が山主に任じられました。
さらに淳和天皇の時、勅命により
弘法大師が十一面観音の像を刻み、
三峯宮の脇に本堂を建て、本地堂とした。

以上のように、当社は神仏習合の神社となり、
明治維新まで僧侶によって管理されていた。

後村上天皇の正平七年(1352)新田義興・義宗等が、
足利氏を討つ兵を挙げ、戦い敗れて当山に身を潜めたことから、
足利氏の怒りにふれ、社領を奪われ、山主も絶えて、衰微した。

後柏原天皇の文亀二年(1502)に至り、
修験者・月観道満は当山の荒廃を嘆き、
27年という長い年月をかけて全国を行脚し、
復興資金を募り社殿・堂宇の再建を果たした。

後、天文二年(1533)山主は京に上り聖護院の宮に伺候し、
当山の様子を奏上のところ、
宮家より後奈良天皇に上奏され
「大権現」の称号をたまわって、坊門第一の霊山となった。
以来、天台修験の関東総本山となり観音院高雲寺と称した。

さらに、観音院第七世の山主が京都花山院宮家の養子となり、
以後当山の山主は、十万石の格式をもって遇された。
現在、社紋として用いている「菖蒲菱」は花山院宮家の紋である。

この様に天台修験の関東総本山として繁栄した当山も、
宝永七年(1710)山主没後、山主に恵まれず十年間無住となり、
宝物も散逸し、社殿堂宇も破損が見られる様になった。

やがて、享保五年(一七二0)日光法印という僧によって、
当山も次第に復興され、以後六里四方を支配し、
今日の繁栄の基礎が出来、「お犬様」と呼ばれる御眷属信仰が広まった。

以来隆盛を極め信者も全国に広まり、
三峯講を組織し三峯山の名は全国に知られるようになった。

その後明治二年の神仏分離により寺院を廃して、
三峯神社と号し現在に至る。

上記のように、当社の社紋は「菖蒲菱」である。
境内には多くの境内社があるが、それは次のページに記載する。


境内入口

鳥居と狛狼

三輪鳥居

鳥居と狛狼

神門

参道階段

鳥居と社殿

鳥居脇の燈籠

鳥居脇の手水舎

社殿

拝殿

拝殿

本殿

社殿

塗替え中の拝殿

塗替え中の本殿

三峯神社
御祭神は伊弉諾尊伊弉册尊で日本民族 の始祖と仰がれる神さまです。日本では 最初の夫婦神で、日本の国、民族はこの 神によって産みなされました。
創祀は景行天皇四十一年(一一一)日本武尊 によって祀られ、後に神佛混淆のお山と なり別當観音院が設けられて山伏の修行 場ともなりましたが明治維新で本来の神 社に戻りました。
本殿は春日造、神のみ霊のお鎮まりにな る御社殿で寛文元年(一六六一)再建昭和 三十六年復元。拝殿は、祭典を行ったり 皆さんが昇って拝禮するところで寛政十 二年(一八〇〇)再建、昭和三十七年改築 されました。
例大祭四月八日
祈年祭二月二十日
新嘗祭十一月二十三日
冬季大祭十二月二日

−境内案内板−



当社の由緒は古く、景行天皇が国を平和になさろうと、皇子日本武尊を東国に遣わされた折り、尊は甲斐の国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中当山に登られました。 尊は当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、その伊弉諾尊伊弉册尊が我が国をお生みになられたことをお偲びになって、当山にお宮を造営し二神をお祀りになり、この国が永遠に平和であることを祈られました。これが当社の創まりであります。 その後、天皇は日本武尊が巡られた東国を巡幸された時、上総国(千葉)で、当山が三山高く美しく連らなることをお聴き遊ばされて「三峯山」と名付けられ、お社には「三峯宮」の称号をたまわりました。 降って聖武天皇の時、国中に悪病が流行しました。天皇は諸国の神社に病気の平癒を祈られ、三峯宮には勅使として葛城連好久公が遣わされ「大明神」の神号を奉られました。 又、文武天皇の時、修験の祖役の小角が伊豆から三峯山に往来して修行したと伝えられています。この頃から当山に修験道が始まったものと思われます。 天平十七年(七四五)には、国司の奏上により月桂僧都が山主に任じられました。更に淳和天皇の時には、勅命により弘法大師が十一面観音の像を刻み、三峯宮の脇に本堂を建て、天下泰平・国家安穏を祈ってお宮の本地堂としました。 こうして徐々に仏教色を増し、神佛習合のお社となり、神前奉仕も僧侶によることが明治維新まで続きました。 三津峯山の信仰が広まった鎌倉期には、畠山重忠・新田義興等が、又、徳川期には将軍家・紀州家の崇敬もあり、殊に紀州家の献上品は今も社宝となっています。又、新田開発に力を尽した関東郡代伊奈家の信仰は篤く、家臣の奉納した銅板絵馬は逸品といわれています。東国武士を中心に篤い信仰をうけて隆盛を極めた当山も、後村上天皇の正平七年(一三五二)新田義興・義宗等が、足利氏を討つ兵を挙げ、戦い敗れて当山に身を潜めたことから、足利氏の怒りにふれて社領を奪われ、山主も絶えて、衰えた時代が百四十年も続きました。 後柏原天皇の文亀二年(一五0二)にいたり、修験者月観道満は当山の荒廃を嘆き、実に二十七年という長い年月をかけて全国を行脚し、復興資金を募り社殿・堂宇の再建を果たしました。 後、天文二年(一五三三)山主は京に上り聖護院の宮に伺候し、当山の様子を奏上のところ、宮家より後奈良天皇に上奏され「大権現」の称号をたまわって、坊門第一の霊山となりました。以来、天台修験の関東総本山となり観音院高雲寺と称しました。 更に、観音院第七世の山主が京都花山院宮家の養子となり、以後当山の山主は、十万石の格式をもって遇されました。 現在、社紋として用いている「菖蒲菱」は花山院宮家の紋であります。 この様に天台修験の関東総本山として繁栄した当山も、宝永七年(一七一0)山主没後、山主に恵まれず十年間も無住となり、宝物も散逸し、社殿堂宇も破損が見られる様になりました。 やがて、享保五年(一七二0)日光法印という僧によって、当山も次第に復興され、以後六里四方を支配し、今日の繁栄の基礎が出来ました。「お犬様」と呼ばれる御眷属信仰が遠い地方まで広まったのもこの時代であります。 以来隆盛を極め信者も全国に広まり、三峯講を組織し三峯山の名は全国に知られました。その後明治二年の神佛分離により寺院を廃して、三峯神社と号し現在に至っています。

−『平成祭データ』−


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