[HOME] > [神社記憶] > [関東地方] > |
|
豐榮稲荷神社
とよさかいなりじんじゃ
東京都渋谷区渋谷3−4−7
|
|||
東京都渋谷区にある。
渋谷駅の東500mほど、道路を挟んで金王八幡宮の南に鎮座。
六本木通りと明治通りの中間あたりに南東向きの境内がある。
階段を上ると石鳥居があるが、その先に、
稲荷社特有の朱の鳥居が並んでいる。
境内西奥に、朱の鮮やかの社殿。
妻入の拝殿の後方に、流造の本殿。
境内左手には、社務所を兼ねた研修道場「蔵脩館」がある。
社務所は無人だったので、
隣りにある金王八幡宮で当社の御朱印をいただいた。
参拝は東日本大震災のの当日。
渋谷から新宿、池袋へ北上する途中、
高田馬場で震災に遭遇した。
境内の由緒石碑によると
鎌倉時代、金王八幡宮を創建した
河崎土佐守基家の曾孫・渋谷高重によって
渋谷川のあたり、現在の渋谷駅近くに創祀された。
渋谷川が渋谷城の御濠に使用されたため、
文化の頃までは「堀の外稲荷」と称されていたが、
その後「田中稲荷」と称されるようになり、
また、川の端にあったので「川端稲荷」とも称されたという。
昭和三十一年、道玄坂上に鎮座していた豊澤稲荷神社を合祀。
豊澤稲荷神社は、もとは猿楽町の京極家の下屋敷内に祀られていたが
明治初年道玄坂上に移り、中豊沢にあった多くの稲荷祠を合祀したもの。
さらに、昭和三十六年、東京都の区画整備により
現在地に遷座した。
賽銭箱や拝殿に、包み抱き稲紋が付けられていた。
ただし、写真が不鮮明で、中央部の文様は
実際のものと少し違うかもしれない。
境内右手には、十一基の庚申塔が並んでいる。
もとは田中稲荷の境内にあったもので、
貞享、延宝、宝永、享保、元禄、元文などに建立されたもの。
境内社殿 |
庚申塔群 |
當社は渋谷八幡宮を創建せる河崎土佐守基家の曾孫渋谷高重の創
祀と傳へらる 鎌倉時代の頃といふ 元渋谷川の辺 渋谷駅の近く
(並大町三十一番地公設市場と渋谷川の間)に在り 渋谷川が渋谷
城の濠に利用せられ居りしことより江戸時代文化の頃まで「堀の外稲
荷」と稱せられしが何時の頃よりか「田中稲荷」と稱せられ又「川端稲荷」と
も稱せらる 昭和三十一年道玄坂上(上通り四丁目三十四番地)に
在りし豊澤稲荷神社を合祀す 豊澤稲荷神社は元猿樂町辺に當る京
極家の下屋敷内に祀られしを明治初年道玄坂上に移し更に中豊澤辺
の数多の稲荷祠を合祀せりと言ふ 東京都の区画整理事業の施行に
伴ひ昭和三十六年十月現在地に移り豊榮稲荷神社と稱し奉る 昭和四十七年新社殿を造營し昭和五十年研修道場を新築して蔵修 館と名付く 文武の道に勵み 大御心を戴きて睦び 和らぎ誠心 以て世の爲人の爲に奉仕し 敬神崇祖 四海同胞 自然と共に生 き 宇宙の働きも似た日本人の生活 美しき日本の心の継承と発展 を祈念してなり 家内安全家運隆昌子孫繁栄開運厄除など日々の生活人生の守り神 生成発展産霊の神として古より御神徳高く霊驗灼かなりといふ 例大祭は十月十三日なり 天皇陛下御歌 我が庭の宮居に祭る神々に世の平らぎを祈る朝々 皇后陛下御歌 星かげのかがやく空の朝まだき君はいでます歳旦祭に 皇紀二千六百三十五年 昭和五十年八月二十三日 建立 −境内由緒石碑− |
【 豊栄稲荷神社 (渋谷区) 】