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明治神宮
めいじじんぐう
東京都渋谷区代々木神園町1−1
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旧官幣大社 |
東京都渋谷区代々木にある。
正確には、明治神宮は2箇所に分かれており、
社殿のある内苑と、青山に神宮球場のある外苑の2つ。
内苑は、旧代々木御料地を主体とする約70万平方メートル。
外苑は、元青山練兵場跡で、明治天皇御大喪儀が行われた場所。
内苑のある境内は広く、最寄の駅は3つ。
小田急参宮橋駅から西参道へ。
JR代々木駅から北参道へ。
JR原宿駅から南参道へ。
今回の参拝は、原宿駅から。
原宿駅を降りて駅の南側から、神宮橋を西へ渡ると、
南参道入口に出る。
参道を北へ歩くと、途中に代々木の地名の由来となった
「代々木」が植えられている。
さらに参道を歩くと、北参道と合流し、西へ向うと大鳥居。
参道入口の鳥居 | 参道の大鳥居 |
参道の代々木 |
代々木 この地には昔から 代々樅木の大木が育ち 「代々木」という地名が 生まれました。 この前の名木「代々木」は 昭和二十年五月の戦禍で 惜しくも焼失しました のでその後植継いだもの であります。 −参道案内板− |
大鳥居をくぐって少し歩き、北へ曲がる参道の先に境内がある。
楼門をくぐると非常に明るい境内。
正面に外拝殿があり、奥に内拝殿。
その後方に祝詞殿や本殿が鎮座。
参拝は土曜日の快晴の朝。
何組かの結婚式が行われているようで、
境内の隅で、記念撮影などが行われていた。
明治45年7月30日に崩御された明治天皇と
大正3年4月11日に崩御された昭憲皇太后を祀る神社。
創建は大正9年(1920)11月1日。
第一次世界大戦の勃発による予算難の中、
延べ11万人の勤労奉仕と、10万本の献木により
現在のような広大な人工林を完成させたという。
境内 |
楼門 | 外拝殿 |
境内 |
境内全景 |
外拝殿から内拝殿 | 内拝殿 |
内拝殿の奥は撮影できなかったので、
昔の絵葉書を掲載しておく。
本殿 |
参拝のしおり 明治神宮は、明治天皇、昭憲皇太后二柱のご祭神がお鎮まりになる清らかで森厳な内苑と、聖徳記念絵画館を中心に、数多くの優れたスポ−ツ施設を有する外苑と、それに結婚式場の明治記念館とから成りたっています。内外苑一帯にわたって、うっそうと茂った緑したたる常磐の森は、国民の心のふる里、憩いの場所として常に親しまれています。 明治四十五年七月三十日に明治天皇、大正三年四月十一日には、昭憲皇太后がおかくれになりました。これを伝え聞いた国民の間から一斉にご神霊をおまつりして、ご遺徳を永遠に追慕し、敬仰申し上げたいという機運が高まり、その真心がみのって、明治神宮のご創建となったのであります。 境内は、明治神宮、昭憲皇太后とは特に縁りの深い元の南豊島世伝ご料地と決定しましたが、このあたりは古くから代々木といわれ、武蔵野特有の野趣豊かなところで、大正の初めご造営工事の時、境内の殆どが全国青年団の勤労奉仕により現在のように造苑整備されました。面積は約七十万平方メ−トルで、都心にありながら山地にある心地のするほど深い森林を形造っています。これらの大部分が全国各地からの真心こめた献木です。現在はその数約十七万本、二四七種、草類は三五二種にも達し、季節になると訪れる渡鳥も入れて五十余種にものぼる小鳥のの楽園で、今日では、代々木の人工の森、愛の森と親しまれ、諸外国にも有名になっています。 −『平成祭データ』− |
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