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奈佐原神社
なさはらじんじゃ
栃木県鹿沼市奈佐原町516
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旧村社 |
栃木県鹿沼市にある。
東武日光線の樅山駅と楡木駅の中間にある奈佐原町に鎮座。
国道293号線(日光例幣使街道)から少し西へ入った場所に社域の森。
境内の周囲に車を停める場所が見当たらず
仕方が無いので、かなり離れた場所に停めて歩いて参拝。
奈佐原町は江戸時代、日光例幣使街道沿いの宿場町・奈佐原宿であった場所。
天領でもあり、楡木と鹿沼をつなぐ「間の宿」であったらしい。
境内入口は南側。
鳥居をくぐるって参道を進むと参道は二手に分かれ
直進すると当社の社殿、左手には境内社がある。
この境内社の名前は、参拝時には確認できなかったが、
『栃木県神社誌』などによると、愛宕神社だと思う。
拝殿は入母屋造、本殿は流造で、比較的新しい社殿だと思われる。
本殿の後方に、小祠や石祠の境内社が並んでいる。
左から弁財天、八坂神社、未確認の石祠、小出神社、
雷電神社、豊年神社、金比羅宮、稲荷神社。
当社参拝の目的は、この中央にある小出神社だ。
寛政年間に善政を行った小出大助大人が生祠に祀られたもの。
当社の創祀年代は不詳。
神社祭典帳によると宝永二年(1705)霜月十五日。
弘化二年(1845)、嘉永四年(1851)の
奈佐原宿大火によって全てを焼失してしまったという。
明治維新に際して、境内地は奈佐原宿の共有地となった。
境内社・小出神社に祀られる小出大助大人は寛政年間の代官。
善政を行って、村人の生活向上に努めた人。
寛保三年(1743)三河国岡崎にて徳川家家臣の家に生まれ
武蔵・下総・下野三国の徳川領五万石の代官に任ぜられた。
当時、奈佐原宿は多年にわたる問屋による
無賃人夫強制徴発によって近郷農民は苦しめられていた。
この強制徴発を禁じたため、村民は大いに感謝した。
また、奈佐原宿に勤倹・貯蓄を奨励するとともに
村民に縄をなわせ、江戸に送って労銀を得て、村の収入とし
一方、越後から農民を移住させて土地を与え開墾せしめて
村を栄えさせた。
これらの功労によって小出大助大人が飛騨国代官として栄転する際、
奈佐原の村民は小出大助大人の仁政に感謝して、
享和の頃、愛宕神社境内に生祠祀った。
明治二十年頃、愛宕神社が奈佐原神社へ合併された時に遷された。
社殿の屋根に巴紋が付けられていたが、
当社の神紋かどうかは不明。
『栃木県神社誌』にも特に神紋は記されていないが
とりあえず掲載しておく。
社域 |
境内 |
境内左手の境内社、愛宕社? | 社殿 |
社殿 | 社殿後方の境内社 |
中央に小出神社 |