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大神神社
おおみわじんじゃ
栃木県栃木市惣社町477
下野や 室の八島に立つ烟 我このしろに つなしやくなり
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式内社 下野國都賀郡 大神社 |
栃木県栃木市惣社町にある。
東武宇都宮線野州大塚駅の東南1Km。
参道の入口は、南側にある。
参拝時は、夕方で、境内裏側から向かったが、
秋の夕日に映える鳥居にしばらく見とれた。
南側鳥居から境内への参道は、社域の木々のために、すでに薄暗かったが、
境内に一歩はいると、背後の木々が、まるで燃えているように輝いていた。
勧請年代は不明だが、奈良の大神神社の分霊を勧請した神社。
勧請は、崇神天皇の皇子で、上毛君・下毛君の祖である豊城入彦命であるとされている。
境内には「室の八島」という池があるが、
池の中に8つの島があり、それぞれの島に8つの小祠を祀っている。
昔は、この池から不思議な煙(水蒸気)が立ちのぼり、
多くの歌に詠まれた有名地であったらしい。
また、当社は下野国の総社でもあるが、
総社としての当社と、式内・大神社としての当社の関係は微妙。
通常、総社は国司によって、国内の神々を合せ祀ったもので、式内ではない。
『明治神社誌料』にも、それを理由に、式内・大神社は、太平山神社であるとしている。
総社であった社に、三輪神を勧請し、相殿に祀ったのか、
あるいは、大神神社境内に、何らかの理由で、総社を祀ったものか。
当社の祭祀に、11月18日〜25日に行われる「御鉾祭」がある。
高さ4・5mの神鉾(おほこさま)を、お假屋に奉祭し、
久良女(くらめ)と呼ばれる童女を捧げる祭。
童女は、祭期間中、お假屋で潔斎しなければならない。
神鉾還御の行列の後、神鉾の体内から縄を出す。
この縄が安産の守りとなるらしい。
また、翌26日には、コノシロ・ニラ・ニンニクの三種を神に捧げて終了する。
この神事に関して、以下の伝承がある。
昔、この地の長者に、絶世の美人の姫があったが、都から流された公卿により懐妊。
その後、国司が、この姫を乞うたが、懐妊のため、「娘は死んだ」と嘘をつき、
偽の葬儀を行い、棺の中に鮗(このしろ)と韮(にら)を納めて火葬にした。
この時の気持ちを歌に詠んだ。
下野や室の八島に立つ烟 我このしろにつなしやくなり
鮗は、昔は「つなし」と呼ばれていたが、この歌より、「このしろ」と呼ばれるようになった。
「このしろ」とは、子代。つまり子の身代わりという意味。
夕方、日没前の撮影は、逆光になる場合が多くて難しいのだが、
秋の夕日は、暖かくて良い感じ。木々の紅葉を際立たせる。
境内はひっそりとしていたが、そこがまた良い感じ。
室の八島のある池は、木々が茂って、何処が池か、島か
わからない状態だったので、写真はなし。境内の案内図を掲載した。
8つの島は橋で結ばれ、一筆書きで回れる。8つの島の小祠は、
筑波・天満・鹿島・雷電・浅間・熊野・二荒山・香取。
参道入口の鳥居 | 裏側の入口鳥居 |
参道 | 境内 |
境内 |
境内鳥居 | 社殿 |
本殿 | 拝殿 |
神宮 | 神楽殿 | 護国神社 |
左門(左の門神) | 右門(右の門神) | 大杉社、祖霊社 |
室の八島の案内図 |
香取神社 | 二荒山神社 | 熊野神社 | 浅間神社 |
雷電神社 | 鹿島神社 | 天満宮 | 筑波神社 |
大神神社
今から1800年前に、大和国三輪山の大三輪神社の分霊を奉祀し建
立されたと伝えられ、別名「八島大明神」。境内の池には8つの島が
あり、八島が祀られています。池からは絶えず水蒸気が立ちのぼり、
煙の名所「室の八島」と称され、「糸遊に結びつきたるけぶりかな」
(松尾芭蕉)をはじめ、多くの歌人に詠まれています。
−『境内案内』− 下野惣社 (史跡)
惣社明神、室の八嶋明神ともいう。下野惣社として
知られたもので、祭政一致の時代、毎朝国司がおまい
りした神であり、それは下野国中に分布する神々にお
まいりをするかわりにこの神社に奉幣する。いわゆる
惣社の神であった。おおみわの神は大和の三輪神で、
山そのものが御神体として知られている。国司がその
神をおむかえし惣社に相殿としてまつったものがいつ
の間にかこの神の名を以って、おおみわ神社と唱えら
れることになったものです。
−『境内案内』− 崇神天皇四十八年、豊城入彦命東征の折、当室八嶋の地に大和三輪の大物主神を奉斎したと伝えられる。 保元平治の頃は社殿宏大にして美麗この上なしと称へられた。戦国に入り小田原北条と皆川氏との戦いの際、 兵焚に会い社殿宝物悉く灰に帰し、その後、復興の力なく荒廃した。三代将軍家光公により社領三十石、 松苗一万本の寄進と諸大名よりの寄進により、天和二年五月、現在の形に復興し、更に大正十三年、 野中氏により大改修あり現在に至る。−『平成祭データ』− |